Zinnia hacks tomorrow. (2013/2)

2013/02/02 (Sat)


= 鰻重

_ つい数分前まで鰻重というのは鰻が重なっている、 つまりごはん→鰻→ごはん→鰻となっている鰻丼のことだと思っていた。 幼少の頃に誰かにそう聞かされていた記憶がある。 「重箱」の「重」なのか...

_ 上記の通り鰻重=鰻丼の鰻が多いバージョンというふうに理解していたので、 「鰻重食べたい」といった科白を見聞きしたときは、 妙に具体的な要望を口に出す人だなあと思っていた。 今日のお昼何にする?→特盛牛丼! というのと似たようなケース? 「牛丼」であることさえ伝えてもらえれば、特盛か並盛かは店員とあなたとの間の 問題であって、めいめい自由にやってもらって注文すればいいのに... というようなもやもやが自身の中にあったのだがまったく間抜けな話だ。



= TraceListener

_ .NETの話。TraceListenerを実装してリスナーに追加しておくと メッセージを受け取れる、というのはいいんだが、 「出力」ウインドウの「デバッグ」に出てくる

スレッド '<名前がありません>' (0x13b8) はコード 0 (0x0) で終了しました。
みたいなのは受け取れないみたい。普段はいらないような気もするが 今回はそこを見たかった... のだった。



= ジョンの話 その3

_ 怒られているという認識があるかという話。妻から物言いがついて、 おそらく悪いことをしているという意識はあるだろうということに。 というのも、妻がトイレに行ったり洗濯しに行ったりしている間に いたずら (例: カーテンにおしっこをする)をすると、妻が戻ってきたときに ケージに逃げこんでおとなしくしていることが多いらしい。 なるほど。ということは悪いことをして後ろめたいという気持はあるのに、 怒られていることと反省が結びついていないということなのかしら。難儀な


= MacOSXの話

_ 前回は憎しみを自己増幅させている典型のような 文章だったがその後の動きなどを書いておこうと思う。

_ まず、「なんか入力がなかったことにされている」気がするという話は、 よく観察してみると、入力がどこに対して行われているかの挙動が違うという 話なのかもしれないと思った。特にコンテキストメニューで顕著なんだけど、 たとえばWindowsで右クリック→C とすると、たとえコンテキストメニューが 出てくるのに数秒かかったとしても確実にコンテキストメニューの中でCが 押されたことになってくれる。それに対して、MacOSXだと実際に コンテキストメニューが出てくる直前までコンテキストメニューが出る前の ウインドウに対して入力されている。(厳密に試行したわけではないのだが 出る前のウインドウにもコンテキストメニューにも渡らない瞬間があるような気もする...)。 したがって、自分がこうしたい(例えばコンテキストメニューを出してどうにかしたい)と思ったときに、 その指示の結果が遅延しても指示内容だけはきちんと届いていると感じる(Windows)か 感じられない(MacOSX)かという違いが、「入力をなかったことにしている」と感じる 原因なのかなと思う。 (ただこれはアプリにもよるのかもしれない。 FireFoxではよく感じるけど、ターミナルでは比較的違和感がないとか)

_ そうと分かったところで、どっちがいいんだろうというとどっちなんだろう。 先行入力ができるというのは、自分の意思とは無関係に何かのWindowがraiseしてきて そこにあれこれ入れちゃいましたというのと裏返しのように思うし、 先行入力ということは指示した内容がどういう結果をもたらすのか、実際に 見えるまで時間がかかるということでもある (だからといってMacOSXは ウインドウさえ出てくれば澱みなく指示が通るというわけでもない)。 少なくともMacOSXは 自分の指示が無視されているように感じられてイライラするのだけど、 Windowsの挙動に不満がないのかというと、単に慣れてて気にしなくなった だけなのかもしれないと思うし、それはMacOSXの挙動だって慣れれば どうってことがないという話なのかもしれない。

_ なんかメモリの量に比べて重すぎるんじゃないかという話は、 アクティビティモニタを見ていて「現在非使用中」というのがあって、 これ何だろうと思って調べてみたところ、 アクティビティモニタでシステムメモリを表示し、RAM の使用サイズを確認するというのを発見。 いらなくなっても解放しないで保持しておくことで、次に必要になったときに 速やかに復帰できるというものらしい。で、どうもグラフの動きを見る限りでは 「空き」がなくなっても「現在非使用中」はちっとも動かないので、ひょっとして 「空き」がなくなったときはswapが優先されて、 「現在非使用中」は使われないんじゃないか?と思ってsdl-fan-jpで聞いてみたところ どうやら常識だったらしい。purgeコマンドを使うと空きが増えた。 それでも「現在非使用中」がゼロになることはなく、せいぜい半分減るといった程度。

_ 落としたアプリを再度立ち上げるときの スピードを上げることが、今現在メモリが足りないという状況でswapを回避することよりも優先されてうれしいシチュエーションが分からない。 非使用中に止まることで復帰が早いというのはメモリがたくさんある環境では うれしいだろうけど、いずれにしても「空きメモリが多い間は」そうしておいて、 「足りなくなってきたら」あきらめて使ってもらえばいいと思うんだが... まったくわからん

_ さらに調べてみると、 メモリを解放してスワップ発生を抑える方法というページを見つけた。 いくつかメモリを解放する方法が出ている。素晴しい。 素晴しいんだけど、よりわからなくなった。 ここで挙げられている操作は副作用で(?)非使用中のメモリが解放されるらしい。 なんでだろう。非使用中の意図を百歩譲って納得したとしても これらの操作で解放される理由が分からない。非使用中ってプロセスのメモリイメージを連想していたけど、そうじゃなくてディスクキャッシュとかなのかしら? でも、だったらpurgeで綺麗さっぱりになってほしいもんだが...

_ いずれにしても何がありがたいのかまったく分からない動きだ。 purgeすれば確かに多少は空きが 増えて、虹色円板を見る機会も少し減ったように思うがpurge自体に10秒くらいかかって、 その間著しく重くなるし、そもそも別にディスクキャッシュをクリアしたかった わけではない。


2013/02/03 (Sun)


= 宇宙に外側はあるか

_ キャッチーなタイトル。この手の本を半年に1回は読みたくなって、 その都度消化不良になるというのが定例行事になりつつあるが (4年前の)、この本はよかった。 もやもやが晴れたというようなことは残念ながらないけど、 きちんともやもやしている人の気持や考えていることを把握して、その 違和感をきちんと議題に乗せてくれている感じが伝わってくる。

_ 宇宙が始まる前に何があったのかという問いの無意味さに対する例えとして、 「地球上で南極より南に何があるのか」という問いが出てきて、 納得できたわけではないが、実に巧みな表現だと思った。

_ マルチバース (並行宇宙が無数にあって、だから今我々が住んでいる宇宙の 奇跡的なバランスは無数の試行のうちの1つでしかない...というふうに私が 理解しているもの) に魅かれるのはこの宇宙を古典的描像で理解したいという 人間の望みが根底にあるというのも、うわあなるほどなと思った。 確かめようのない仮説でひとまずうまく説明がつくことによりかかってしまう 気持はたしかにあるなあ。(研究者がそうなのかは分からんが)

_ などなど、自分のもやもやをうまく表現してくれて、そこに潜む悩みや 願望に気付かされたりと実に充実した読後感だった。


= 砂の器

_ 以下「砂の器」の小説と、1974年の映画と、2004年のドラマのねたばれを 含むので注意。

_ 「砂の器」は、2004年のドラマの最後3話くらいを見ただけだったのだが、 図書館で1974年の映画のDVDが借りられることが分かったので、原作の小説と 一緒に借りた。

_ 映画は、小説ではあまり前面に出ていなかった本浦親子の放浪生活がかなりの ウエイトを占めており、また犯人についても前半にはだいたい見ている人には 明らかになっていて(そもそも登場人物が原作ほど多くない)、後半1時間はほぼ 放浪シーンになっている。この映画が名作の評価を得たのもそのあたりが理由なんだろう。 2004年のドラマでもだいたいこの映画の形式を踏襲していて、 私が見た残り3話はちょうどそのあたりのシーンだったようだ。 映像と音楽が圧倒的で素晴しかった。

_ 親子が放浪する理由としては、原作と映画はハンセン氏病が原因で、 それ以降のリメイクでは父である本浦千代吉が殺人を犯して逃亡するということに なっている。映画では謂れのない差別と虐待で各地を放浪せざるを得ない 悲惨さがあるが、ドラマでは理由はどうあれ大量殺人犯の逃亡なので 「父の苦悩」「父に対する息子の思い」 「20年以上経過した後の二人の御互いに対する思い」といったものの 質が変わってしまっているように思う。 それでも2004年のドラマは映画と若干質は変わっているが、 やっぱりよくできていたな、と思う(最初に映画を見ていたら感想も変わったのかも しれないけど)。 登場人物を絞って倒叙型にしたのも適切だったと思う。

_ 小説の「ヌーボーグループ」の行き詰まりっぷりがすさまじい。 既成の権威にかみつくことが自己目的化していて、当然のように自滅している様子が 実にいたたまれなかった。映画ではヌーボーグループの存在は 和賀ひとりに集約されていて、しかも時代が現代寄りになっているためか 現代音楽とか、「凶器」とか、さすがに当時(1974年)でも無茶だろうと思われるものは なくなっていた。 また、小説では夜行でまる1日かけて移動といったシーンが何度かあったが、 このあたりは映画の段階で時代を移したらしく、新幹線と在来線で移動していた。

_ 小説では今西の自宅周辺の様子がけっこうひんぱんに出ていて、 当時のサラリーマンの雰囲気 (今西は警視庁に勤める警察官だからサラリーマンというわけではないのかもしれないが) が出ていて 興味深かった。映画では今西の家族の様子はまったく出てこない。 今西は40代なんだが小説では「老練」という表現が出てきたりする。 60代の人物は「老人」となっていた。 今の時代なら40代は「中堅」だろうし、60代はまだ老人と呼べる世代ではないだろうな。 これも時代の移りかわりだなあと思った。 原作にあった今西と吉村の世代を超えた友情というのは、映画では多少弱かった気がする。 それにしても真面目に演技している丹波哲郎を見たのは初めてかもしれない。

_ その他。小説はかなり偶然というか物事が都合よく進みすぎな感じを受けた。 映画は状況や展開の説明を字幕でやるというのがかえって新鮮だった。 最近そういうのないよな...



= 走った

_ 7kmちょっと。 12〜1月はほとんど走れなかった。12月は80km弱、1月は40km弱。 なので、30分も走っているとしんどくなるような 有様だったが、今日はさほど疲れなかった。いつもより寒さがきつくなかったのも よかったのかしら。

_ 繰り上げ返済分も帳消しになってしまった。 が、とりあえず10km前後を走れるようになるまでは無理しないでおこうと思う。


2013/02/09 (Sat)

_ なんだかすることがいっぱいで大変だ。


= ARM

_ なにやら偉大な方々がARMに関心を持っているようで頼もしい。 したがって安心してゆっくりやろうと思う。

_ まずstrlenにあたるものを書いて、でもprintする方法がまだないので 終了コードにセットして、echo $? で結果を見る... という方法で確認。 strlenができたのでメモリにセットした文字列を表示するようなものを書いた。 というのが前回から取り組んだ内容だ。着実な進歩すぎて涙が出てきますね。 達者にプログラムが書けるようになる頃には ハノイの塔の移動が完了しているかもしれない。

_ gdbの使いかたをほぼ忘れている。レジスタを見る方法が分からない ($r0 とかでいいらしい)とか、起動直後に止める方法が分からない (break エントリポイントのラベル でいいらしい) など、こちらも 先が思いやられる感じ。たしかemacsの中からgdbをいじれた気がするので 試してみよう。

_ ... Reading symbols from .. doneと出てから先に進まないな。 ...と思ったらプロンプトが出てこないだけか。コマンド入れれば応答が帰ってくる。 しかし見づらい。speedbarでスタックフレームが見られるはずなんだが、 それもうまくいってないらしい (backtraceは効いてるんだが)

_ 久しぶりにアセンブラを書いてみるとやっぱり普段使ってない能力を使っているようで かなり疲れる。 このレジスタはここでは何の役割をさせているんだっけ、ということを すぐに忘れてしまう。デバッガも裸のgdbではちょっとなあと思ってしまう。 x86のアセンブラやってた頃はどうしていたんだろう。 まあレジスタはもともと本数が少なくて役割が決まっていたのであんまり悩まなかったのかもしれないな。 こういうのはABIを見て学ぶといいのだろうか。 デバッガは... symdebだけで頑張っていたのかなあ... Turbo Debuggerは Cのとき以外で使った記憶がない。 symdebはレジスタを一気に全部見たりできた記憶がある。gdbはどうなんだろう。 いちいちコマンドを投げるのが面倒だ。

_ ARMのアセンブラの話(今更だけどアセンブリ言語のつもりでアセンブラと書いている)。 フラグを変化させるかさせないかをsuffixで指定できるらしい。 条件命令があるので途中でフラグ変わると困るといったことなんだろうと思う。 x86の頃はフラグが変わるか変わらないかは命令ごとに決まっていたので新鮮だ。

_ 定数のロードが大変。RISCは命令長が固定と聞いていたので、 x86だってオペコードはまあまあ固定じゃないかと思っていたんだが、 オペランドも含めて固定らしいと知る。ARMの場合は4バイトで、 MOVでセットできる即値は8ビットまで、LDRでセットできるオフセットは 12ビットまでとかなり制限が厳しい。 そのため、.dataや.bssに確保したメモリのアドレスを.textに入れておいて それをpc(プログラムカウンタ)相対でロードするということが日常的に 行なわれるらしい。 x86だとmov ax, offset ahya などと気軽にできていたので驚きだ。 それにx86だと.textを見たいと思ったらセグメントオーバーライドプリフィックスが 必要になってむしろ無駄なので、発想がまったく違うんだなあと思った。

_ システムコールを呼ぶ方法は2種類あって、OABIとEABIというらしい。 swiというのでソフトウェア割込みを呼ぶ際に24ビットの値を指定できるんだが、 これで飛び先が変わるわけではなく、 OABIでは割込みルーチンの方から呼び出し元で指定されている24ビットの値を 読み出して飛び先を決めるというものらしい。なかなかアクロバティックだ。 EABIではr7に機能番号を設定して呼ぶらしい。


2013/02/10 (Sun)


= お勉強会

_ 予定通りARMをやる。すばらしく進んだというわけではないが、 それなりにコード書いたり試行錯誤ができたのでまずはよかった。

_ 割り算がないので書いた。まずは被除数を除数で何回引けるかを数えるという極めて 頭の悪い方法で実現。より効率のよい方法はいずれ試すことにする。 続いてitoaに相当するものに取り組んだ。下の位から順番に確定していって、 最後に反転させることに。ということでin-placeで反転させるロジックを先に書く。 ブロック転送命令なんて洒落たものはないのでldrとstrでやる。ポインタの 更新を自動でやってくれるので楽ちん。

_ itoaを書きあげることはできずに時間切れ。レジスタの使いかたが やっぱりよくわからない。r0から順番に引数をセットして、 戻りもr0〜にセットにする、という やりかたでひとまず進めているんだが、関数の中でさらに関数を 呼ぶ場合にレジスタを空けたり戻したりいそがしい。レジスタは沢山あるので、 「ここに戻してほしい」といったことが指定できるといいんだが、そんな 都合のよい機能はない。まあマクロを使えばそのあたりも実現できるが、 なんでもかんでもマクロというわけにはいかないし、 せっかく命令レベルで直交性があるというのに、いざ関数呼び出しになると レジスタの役割が固定化されてしまうというのはなんか齒痒い感じがする... というのは根本的に理解がおかしいのだろうか


= Arm IntrO Challenge

_ Versatile Express製品ファミリで動くデモたち。 qemuで動いた(-M vexpress-a9 ... というよりは最初からそのつもりで書いている模様)。 けっこう軽快なので驚く。 ここのコードはThumbで(サイズ考えれば当然か) Thumbはやる予定がないので そのままでは参考にできないが、数百バイトのバイナリをqemuで起動するだけなので Linuxなどを動かすのに比べればよっぽど手軽だ。これはこれで面白いな... ただこれを楽しむには別にARMのLinux環境は必要でなくて、 単にクロスビルド環境があればよいということに

_ ソース見てるとNEON命令を使っているように見えたりそうでもなかったり、 まだ知識がないのでVFPなのかNEONなのか分からんのでなんとも言えないが、 なんかNEON使っているように見えるなあ... もしそうだとするとQEMUじゃなくて Linuxのカーネル側の設定の問題なのか?

_ radareというやつの中に クロスアセンブラが入っていて、それでもアセンブルできるらしい。



= Calling convention

_ なるほど。入口でr0〜r3の中身をコピーしておけという話か。 それは分かりやすい。

_ 以下意訳:

r12(ip)の役割がいまひとつわからん。ipはintra-procedureのことらしい。 結局破壊されてもよいレジスタがr0〜r3の他に1つだけあるという理解でいいのかしら


= 増上寺刃傷 / 無宿人別帳

_ 松本清張は時代ものもけっこう書いていると知ったので借りた。 ハッピーエンドと呼べるものはあまり多くない。 ちょっとしたきっかけで運命が大きく変わるとか、 生まれの不運から辛い人生を送るとか、恨みを一方的に抱いて育ててゆくといった 渋さや辛さを感じさせるものがほとんどだった。 といっても短編なので読むだけでしんどくなるようなことはなく、 全体的に端正で読みやすい。

_ 一個だけ捕物帳ものがあってなかなかよかった。 他にも何編かあるようなので借りて読むことにする。


2013/02/11 (Mon)

_ 電車の中で読む本がなくなったのでDesireでARMの資料を読んでいたら酔った。

_ 犬たちはトリミングに行ってきたらしい。コパンがあまりにもイノセントな 表情をしていたので心配になって両脇を抱えて持ち上げようとしたら 怒っていつもの顔に戻ったので安心した。


2013/02/12 (Tue)

_ なんだかブザーでPCMを鳴らしたい気分なのでPWMの資料とかを読んだ。


2013/02/14 (Thu)


= コパン

_ 2/13 21時過ぎに急逝しました。

_ いつもと変わったことと言えば、今朝は咳がひどく何度もなだめたり、 朝ごはんの喰いつきがいつもより悪かったり、という程度でした。 かなり粘ってなんとか食べさせて(お菓子はいつも通り食べるのですが ごはんは舐めるだけで食べようとしない)、1時間遅刻で会社に行きました。 今思うと今朝の咳もいつもよりゴロゴロ音が強く切れ目がない感じだったので、 もっと早く病院に連れていったら...などと後悔が尽きません。

_ 虫が知らせたというのか、 こんなこと書いたり、今日もなんか仕事中に コパンのこの写真から目が放せなかったりでした。 先に帰宅したのは私でした。残業の予定をキャンセルして慌てて戻ってきたのですが、 コパンがこちらに向かって仁王立ちしていたのでちょっと安心しました (今思えば近くにつぼみがいなかったような。コパンは耳が聞こえないので、 つぼみが動かないと人が来たことに気付かない)。

_ トイレシーツに巨大なうんこが3回分くらいあったので、片付けている最中に コパンの呼吸がちょっと荒いかな?と思いました。鼻呼吸なのに、呼吸の回数が かなり多く、足に力が入らずにぺたんと座りこんでいました。胸に耳を当ててみると かなりゴロゴロしていました。程なく妻が帰ってきたので、団体の方と相談の上 錦糸町の協力病院に連れてゆくことにしました。 普段お世話になっている 別の協力病院は休診日でした(留守電経由で院長先生から連絡をいただきました)

_ タクシーで移動を始める頃には口でハアハアと息をしはじめており、 移動中に酸素缶2つを使い切ってしまいました。 ようやくのことで病院に連れてゆき、すぐに点滴、レントゲン撮影をしました。 肺水腫で肺が真っ白でした。すぐに処置を始めてくれましたが、 直後に心臓が停止、蘇生処置をした後も呼吸器と心臓マッサージを続けたものの 自発呼吸と心拍が戻ることはなく、そのまま亡くなりました。

_ なんとなくコパンは家で見看ることになるだろうと思っており、 緩やかに衰弱しながら死を迎えるものだと予想していましたが、 わずか2時間足らずで急死という結果でした。 突然のことで夫婦ともに呆然としております。ジョンや、コパンが大好きなつぼみも 不思議そうにコパンのまわりに集まって眺めてました。

_ 2011年10月末に我が家に来たコパンは、 アカラスのせいで顔を除いた全身の毛が抜けひどい悪臭を放っていました。 少し肌が落ち着いてきたと思ったら癌がみつかり、手術後1年が経過して 寛解という言葉が見えてきた矢先のことでした。 老齢になって皮膚も身体もぼろぼろな状態で捨てられて、殺処分寸前まで行って、 ようやくうちでひと心地ついたかと思ったらもう逝ってしまいました。 コパンの一生って何だったんだろう。毎日元気に生きてきて、 可愛かったり憎たらしかったり、うちに来てからのコパンはきっと 幸せだっただろうと思います(つぼみとも仲良くしていたし、ジョンとは多少 しっくり来ないものの常に衝突するほどではありませんでした)が、 やはりもう少し長く生きて今までの辛い分を取り戻すような楽しい日々を、 できれば里親さんのもとで送ってほしかったし、死に至る道ももう少し穏やかで、 コパンと周囲の人々や犬との別れをゆっくりしてほしかったと、 身勝手ですがそう思わずにいられません。

_ 病院の方に親切に見送っていただき、団体の方に送っていただいてコパンを 自宅に連れて帰ることができました。いつもお世話になっている トリミングサロンのオーナーさん(つぼみの預かりさん)も駆けつけてくださり、 各方面への連絡をとっていただいたりしました。 あと数日はコパンといっしょに暮らして、きちんと送ってあげるつもりです。

_ あまりに急なことで、とにかく一報をと思い急いで書きました。いつも以上に 分かりづらい文章かもしれません...


2013/02/17 (Sun)


= コパン

_ 本日火葬をしてきました。1時間足らずで骨と灰だけになってしまったことへの 喪失感は巨大ではありますが、一方でようやくきちんと送り出すことができたという ほっとした気持もあります。 水曜に亡くなり、木〜金は家で一緒に過ごしましたが、 やはり生命を失った肉体をいつまでも家に留めておくというのは 少し可哀想な感じがありました。つぼみはコパンが家に帰ってきた初日〜翌日は コパンの側にいることが多かったものの、それ以降はあまり近づいている場面を 見掛けなくなりました。(花に囲まれるようになったので怖かったのかも)

_ 個々のエピソードに対して、あのときああしていればよかったとか、あのとき あんなことをしなければよかったといった類の後悔はありますが、 それでもコパンが居心地の悪い思いをしていたのではないか、とか、 余計な辛い思いを強いているのではないかといったような不安や後悔は まったくなく、加えて、コパンを邪魔に思ったり疎ましく感じたりすることは 一度もなかったため、 そういう点でも無事に送り出すことができてほっとしております。 自己満足に過ぎないものでしょうし、コパンの命を縮めるようなことを 何一つしてこなかったなどと言うつもりはありませんが、 コパンが楽しく穏やかに、安心して過ごすことができていたであろうという 自負があり、その点で踏み外すことがなかったという自覚を持っておりますので、 コパンはこの家に来ないほうがよかったのではないかといったようなレベルでの 後悔はありません。(ジョンについては、 ここよりもよい環境があるのではないかという程度の心配はあるものの、 ここにいない方がいいのではないかというほどの心配はしておらず、そういう点では コパンと変わりません。 もっとも私は団体の活動には「一時預かりのスタッフの夫」という以上の 関心を持っておらず、まして団体の意図や経緯にコミットをしているわけでは ないためジョンが我が家にいることについてどう受け止められているのかは不明)

_ ここのところ仕事が忙しく(人の気も知らないで(←言っていないので知るわけがないが) 脳天気なことを言ってくるので普段は言わずに留めておいたようなことまで ぶつけてしまうようなことをしており、人は悲しみが多いほど人には 優しくできるそうなので、コパンを喪った悲しみは疑いようもないし、 したがって私は人でないか相手が人でないか、その両方なのかもしれません。 まったくどうでもいい話ですが)、 またコパンが亡くなってからは 会いに来てくださる方も多く、おかげでコパンを見送るまでの数日間は あっという間でした。考える時間ができてしまうと、 やはりコパンの苦しそうな声や最期の瞬間の姿のことを思って たまらない気分になってしまうため、むしろ救われた気分でした。

_ わんたのときも同じようなことを思いましたが、 人間の心はよくできたもので、忘れたくないと思っても記憶は急速に思い出に 変換されていってしまうようです。すでに、コパンの動く姿や 声を少しずつ忘れていっていることに気付きます。 それでも無意識の行動で、リビングに丸まっている毛布があったらそこに コパンがいるような 気がして踏まないように気をつけてみたり、コパンのぶつぶつ文句を言う声や 咳の音が聞こえてくるような空耳を何度も体験したりしています。 (記憶が曖昧といえば妻のかわりに団体の代表に電話した際、「あーさの妻ですが」 と名乗ったような...気のせいだといいんですが)


= 江戸の外交戦略

_ 「鎖国」の実態を描いた本。「初めての統一国家」である江戸幕府が 国民を管理し国際化への準備段階として取り入れたのが鎖国、というように読んだ。 なるほどねえと思う一方で、鎖国をどのように維持して変化させてゆくつもり だったのだろうか?というのがよくわからなかった。 初めての統一国家というのも、当時の人々の国家に対する定義域というのが ピンと来なかったので、そういうものなのかなあという薄い反応に。 読み手の問題であるとしか言いようがないが...


= 身につまされる江戸のお家騒動

_ 大奥の騒動とか、お家騒動とか、有名なものでも知らなかったりするので勉強になった。

_ 大名は藩主でもあり幕臣でもあるという視点は失っていたので興味深かった。 国元で好き勝手やりたい家臣団は国のことはともかく 幕臣としてしっかりやってくれよという思惑があったりするらしい。

_ 著者は年下だった。この手のサーベイ系の本というのはそれなりに研究を重ねて 著書をたくさん出した人が依頼されて出す本という印象を持っているので、 そういう著者の候補として自分より年下の人が出てくるというのが意外というか 若干ショックだった。自分が小学生の時の教師の年齢、横綱、サザエさん、などなど、 気付いたら年下になっていてショックだったことは何度かあるが、 それに負けず劣らないショックだった。


= Mapion・日本一の地図システムの作り方

_ 地図がどうやって作られてゆくのかということは非常に興味があったので借りた。 が、Webの地図システムの作り方の本だった。どうもMapionという文字を読みながら ゼンリンの事を思い浮かべていたらしい。

_ オープンな仕組や外部サービスを きちんと使って、それでも駄目なところは拡張して、フィードバックもして、 と、技術的にも無理がなく正攻法な印象。 Solarisを積極的に使っているあたりは とても好印象。若いエンジニアたちが 立ちはだかる問題をきちんと分析してひとつずつ突破してゆく様子にも 好感を持った。問題を正視せず俺の作ったすばらしいガラクタで問題はすべて 解決するのだというようなことではないのが素晴しい(普通そうなのかもしれない)



= DragonFly BSD

_ AmigaOSから辿った。 名前は知っていたがあまり中身をきちんと見たことがなかった。のだが、 いろいろ興味深い拡張がなされているんだな。 HAMMERも気になる。

_ Matthew Dillonの名前はFreeBSDのMLでよく見た記憶がある。DragonFly BSDの 設計思想は彼のキャラクターがよく出ているようだ。


2013/02/20 (Wed)


= さよならのかわりに 谷山浩子 歌詞情報 - goo 音楽

_ コパンの記事で「さよならのかわりに」というフレーズがあって思い出した曲。 コパンが妻に語りかけている様子を想像して一人で妙に感極まってしまった。 (コパンの一人称=僕というイメージでもないのに)


2013/02/25 (Mon)


= ワンタン

_ 「砂の器」で聞き込みのためにワンタンを喰いに誘うシーンがあって、 そういえばワンタンというものを食べたいと思った記憶がなく、 外でワンタン喰った記憶も1回しかない。 その後、 この記事を見て実にうまそうだと思って、 以来ワンタンのことが気になって仕方なくなった。

_ カップわんたんを食べたり、近所のラーメン屋でワンタンを食べたりした。 カップわんたんは完成度は高いように思うけど、中のアンの食感がいまひとつで、 さすがにラーメン屋のきちんとしたワンタンはうまかった。 しかしワンタンというのはスープをよく包んでいて猫舌の人には厳しい 食べ物なのかもしれない。


= ヒゲ

_ ヒゲを剃ると肌あれが酷いので最近は剃る回数を減らしている。来客や 外出が少ないのをいいことに、試しに2週間ほど剃らずに放置してみた。 どうも生える箇所が決まっているようで、ほっぺたにはほとんど生えていない。 顎もさほど密度がない感じで、少し揃えればそれなりにヒケヅラとして まともなのかもしれないと思った。

_ あとさほど長く/濃くならない。が、それでも2週間もたつと少し長くなってきて 物を食べるときに視界に黒いものがちらちらするのが不快になってきたので 剃ってしまった。


2013/02/26 (Tue)


= 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

_ 話題になっているだけあって面白かった。借りるのに1年3ヶ月くらいかかった。

_ これだけ予断に満ちた内容であるなら冒頭に著者の木村に対する思い入れとかを もうちょっと書いといたほうがいいんじゃないかと思いながら読み進めた。 最後にそのあたりの違和感は払拭されるわけだが、伏線を回収したというよりは 連載の流れの中で生まれた展開なのかなあと想像する。

_ 木村政彦の名誉を回復するという動機で始まったのかもしれないが、 柔道を愛する者(著者)が木村政彦の敗北にどう整理をつけたのか、ということを 600ページにわたり綴っていたというふうにまとめるのはちょっと 悪く言いすぎかもしれないが、そんなふうに思った。といっても それが悪印象を抱かせたというわけではないし、結果として 強く引きこまれつつもあと一歩のところで引いて見ることができたように思う。 (そうだったとして、前段落の通り狙ってそうなったわけではないのだろうけど)

_ 展開が巧みで、プロレスと柔道の内外の空気とか、 背景となる時代の空気といったものがインタビューや描写でよく出ていて、 分厚い本なのに飽きさせない。導入部分も、プロレスは「ブック」にしたがって 進行しているというこの本を通して重要なテーマを強く印象づけさせるものがあり とてもよかった。

_ 一方、事実とされていたことの「検証」や、事実の追求に対する態度がよくわからなかった。 他者の記述については孫引きの可能性を注意深く追っている割には、 複数の証言が得られたという一点で事実と断言していたり、実力者の証言を 不自然に受け入れてみたり、そうでもなかったり。バランスがよくわからない。

_ 読めば読むほど力道山はすごいと思ってしまった。決して好きにはなれないし、 とても尊敬できるような存在ではないし、描かれている「すごさ」はまったく 後味のよいものではないけども、それでもすごい。 木村は人間としての魅力は溢れているし、実際規格外の強さを持っていだんだろうけど、 ここでの描かれようを見ると、やはり負けるべくして負けたという感を強く受ける。 最後のヒクソンの感想が、結局のところ自分のものに近かった。 そうしたくてもできなかったというのもよく分かるので切ない。

_ そして結局のところ木村はなんでこんなに強くなれたのかということが 自分の中にすんなり入ってこない。常識を外れる量の練習を休まずやって、 結果強かったというのはその通りなんだろうし、それが師弟の絆によって 実現できたというのもそうなのかもしれないけど、同じことをやって 誰でもそのような状態になれるわけではないだろう。なんで師弟が思い描いた 姿を木村という身体の中に実現できたのか?という部分がよくわからなかった。 文中の表現を借りると、本当に闘うためのマシンみたいな違和感を覚えた。




Zinnia (zinnia@risky-safety.org)
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