Zinnia hacks tomorrow. (2026/1)

2026/01/01 (Thu)


= こんにちわ

_ 本年もよろしくお願いします


= Tlog

_ ほぼ事務所に籠もっていたが、14時過ぎにめし喰いにゆくついでに 少し散歩したところとてもよい天気で清々しかった。


2026/01/02 (Fri)


= Tlog

_ 事務所から自転車で帰還。気温はかなり低かったようだが、上着なしのまま ぎりぎり走れる程度だった。

_ 夕方から天気が崩れていって、夜には雪になっていた。 明日まで降り続けることはないと思われるが、 明日もまた事務所に行く予定なので自転車での走行が困難になるほど 積もられても困るところだ


= ジェイク

_ 事務所で数頭の犬たちといっしょに過ごしていたのがよい刺激だったのか、 わりと機嫌よく過ごしてくれている。見守っている夫婦としては 抗癌剤投与後のことが心配なのはもちろんそうなのだが、現時点では 入院までに容態が急変するようなことがあったら… という心配が劣らずでかいので、顔つきがしっかりして、 多少なりとも食べてくれて、人や犬とふれあって楽しそうにしている 様子を見ることは大変にうれしい。

_ どうも、ジェイクの様子と、置かれている状況の厳しそうな気配という もののギャップに戸惑う。 ジェイクの様子は、もちろん普段よりは元気なさそうだし喰いつきも悪いのだけど、 それでも日頃の生活の中で体調が下ぶれているときと そこまで大きく変わってはいないように見えてしまう。


2026/01/03 (Sat)

_ しごとをした。

_ 冬休みはライバルに差をつけるチャンスだとか、他の人が休んでいる間に 休み明けから効果的な動きができるように種を蒔いておこう、とか、 いつもならそんなことを考えながら過ごしていたもんだが、今回は そういう気持がありつつ、ジェイクが心配というのもあったし、 昨年末来のいろんなことに対してあまりにうんざりしていて仕事用PCを 開く気にもなかなかならなかった。私はいろんなことを先送りにするほうだけど、 今やっておかないと後で大変…と頭で分かっていることまで先送りにすることは ほとんどなかったはずなのだが

_ とはいえしごとをした。最低限打ち返しておかないとさすがに 駄目だろうという案件のみ対応。


= Tlog

_ 日あたりのよいところの雪はほぼ溶けているが、日射しの少ないところは きちんと残っているので夜には凍結しそうな気配。

_ 今日は事務所に一泊の日なので夕方に自転車で移動。立石あたりで 雪はほぼ見えなくなり、墨田区に入ったらもう雪がまったく見当たらなかった。 なので普段とほぼ変わらない感じで移動できた。


2026/01/04 (Sun)


= Tlog

_ 事務所から自転車で帰還。家の周囲は、日のあたりづらいところにまだ雪が 残っていて、しっかり凍結しているところがあった。


= ジェイク

_ 入院日になった。あいかわらず喰いつきがよくないままだが 大きく体調を崩すこともなく、表情には力があり、他の犬との触れ合いも よい刺激になっているようには感じる。とはいえ胃腸の動きはあまりよくないようで 今朝水を飲んだ後に未消化のおやつなどを吐いてしまった。

_ 午前に妻が病院に連れてゆき入院した。抗癌剤の投与は明日で、その後は 腫瘍融解症候群に備えて入院を続けるそうだ。抗癌剤が癌細胞を攻撃し、 破壊された細胞成分が血中に流れることで引き起こされる症状たちらしい。 ジェイクの腎臓の腫瘍がリンパ腫であれば高確率で起きるものらしい。

_ ジェイクはそもそも妻が近くにいないと不安を感じたり怒って吠えたりといった 調子の子なので、そんなジェイクが一週間近くも入院するというのは それ自身ちょっと心配になってしまうところではある。


2026/01/05 (Mon)


= Tlog

_ 今日はさほど厳しい寒さでもなく、日射しもそこそこのようだ。


= ジェイク

_ 昨日入院、本日抗癌剤を打った。妻が朝から見舞いと立ち会いをしていた。

_ 昨日からの点滴で腎臓の数値もだいぶ改善されたようで、 食欲もそれなりに戻ってきたらしい。昼過ぎに抗アレルギーの注射、 30分後に抗癌剤を打った。かなり強い痛みの出るものらしく、一時的に 泣き叫び放心状態になったらしい。癌細胞を攻撃するためにはそれだけの 強さが必要なのだろうが、 注射したものが痛みを引き起こすというのはやはりおそろしい。 ジェイクにしてみれば説明もなく閉じこめられたり、注射をされたり、 その後強い痛みを覚えたり、というのは理不尽そのもので可哀想になってしまうが、 元気に過ごすためのステップなので…頑張ってほしいと思う

_ パニックは一時的なもので、その後はだるさと眠さのせいか 少し落着きを取り戻したらしい。なお昨日妻が去った後もさほど動揺せずに ケージのなかで落ち着いていたそうだ。


= 退職 (前職の回想)

_ 「回想」と書いておかないと退職エントリみたいになってしまうので 追加しておいた

_ バキ童チャンネルの退職を考えているあなたへ、経験者からのアドバイス【退職代行】 - YouTubeを見て、 そういえば前職を辞めた前後の心境をきちんと書いたことがなかったかもしれんと 思い出したので、退職後20年が経過した今こそ振り返る時ではということになった。 別の機会というのが 10年単位で未来というのはZHTではよくある現象だ。

_ 前職(以下A社)を辞めたのは2005年8月、 現職(以下B社)に転職したのが2005年12月だった。 実際には10/12から B社の仕事をしていた (「流し」と表記していた) ので、 12月は正社員になったタイミングだった。 流しになることは9月末に決まっていたし、 A社を8/31で辞めた後も一週間くらいはなんだかんだで会社には行っていたので、 仕事をせず、仕事が決まらずに完全にニート状態だったのは2週間くらいだった。 その2週間の中には引越しの作業もあったので、本当に何もせずに休んだというのは 一週間足らずといった程度だと思う。しかしそれでも私には十分すぎるくらい長い 無職時間だったと思っている。

_ 無職であることに対する解放感はほとんどなかった。貯金は100万ちょっと くらいで、 実家暮らしとはいえ長く無職をするつもりはなかった。 いつまで無職を続けるのかという不安がありつつも 転職活動に対する億劫さは、それはそれで根強くあり、 まったく快適な状態ではなかったし、 会社員という肩書を失うこと自体に対する心細さというのはかなり強かった。 何か決定的な経験、たとえば審査で不利な扱いを受けるとか、そういった経験が あったわけではないが、 物の見方や、見られ方というのが、実は会社員という薄いベール越しのものだった、 ということを、そのベールを失ってから気付くというのはけっこうな恐怖だった。

_ そんな調子で神奈川に戻って、一週間足らずの無職時間を、表面的には だらだらと、内面では穏やかではない感じで過ごした後、 先にA社→B社に転職していた人から、まだ転職先が決まっていないなら 仕事を手伝ってほしいという具体的な誘いが来た。 それを足がかりに正社員に誘われる可能性はもちろん認識していたが、 それは何としても避けたい…という気持があったわけではない。 当時書いたように現職と前職は仕事上の繋がりがあったので、 現職がどんな環境なのかは前職にいる頃からある程度は把握していたし、 最初から選択肢から除外するよりは、距離を保ちながら中身をきちんと 見ることができ、 かつお金ももらえるし、都内に寝泊まりできるのは他の転職先を探す場合にも 役立つだろう…といろいろメリットが大きかったので引き受けた。 結局他を探す努力をしたわけではないので、 結果から見れば安い方に流れたということだろう。

_ ここでは辞める前後の話をするのがメインなのでそのあたりを書いてゆく。 A社はもう解散していて事業も存在していないし、 ある程度は書いても問題ないだろう。新卒で入ったA社は米沢市にあった。 5年半勤めた。社員数は20名に満たなかったと思う。 入った当時は10名そこそこだった。 大学が米沢市にあったので、そのまま米沢で仕事するか…と、これまた あまり深く考えずに探してみつけて入った。 もともと仕事にやりがいを求めていたわけではないし、まして技術的な チャレンジなんてものを求めていたわけでもないので、衣食住が満たされて 趣味の時間の確保とそのための収入があればそれ以上は別にいいやという 感覚だった。別にそれらが高水準で満たされていたわけではないので 満足はしていなかったものの、あまり 深く追及するつもりもなかった。米沢にはけっこうな愛着はあったけど、 一生過ごすところではないかなという気持もあったので、まあ我慢できなくなったら 辞めればいいか…という程度の感覚だった。

_ 5年半のA社生活はエンジニアとして過ごした。 エンジニアといってもプログラムばかり書いていたわけではなく、 いわゆる「サポート」「運用」的なことも多かった。 稼働中のシステムに対する問い合わせだけならよかったのだが、 POS事業もやっていたので店舗からの問い合わせやマスタの整備、 故障品の検品、修理、再セットアップなども一人でやっており、 そちらの拘束時間の方が長かったように思う。 プログラムを書く仕事が他の人よりも少なめというわけではなかったので、 ようやく対応がひと段落して さあプログラム書くか…と思ったらもう定時だった、 というような日々だった。

_ 2つ前の段落に書いた通り仕事にやりがいを求めていたわけではないものの、 かといって意欲がないというわけではない、というのが、ひょっとしたら 私の屈折したところなのかもしれない。能力の向上やそのために必要な 努力というのは自身の問題であって、 会社に強いられたり育まれたりするものではないという考えかたをしていた。 努力は勝手にするし、それを生かしてゆくことも自分で考えてやってゆくし、 それによって会社のためであったり世の中のためになるかどうかはこちらで すりあわせをしてゆくので、そのプロセスに会社が関わろうとするな、という感覚だ。 なので、 努力をコントロールしようとしたり、ましてや搾取しようとするなんていうのは 論外だと思っていた。

_ そんな感覚で仕事をつづけて (今でもその感覚は大きくは変わっていないが) 5年半経過した頃、当時大きな案件だった愛知万博 (一部区画のPOSシステムを 納めていた) が終わった直後の全社会議で、 搾取している張本人 (経営陣) が仕事の進めかたを省みる気配もなく、 待遇改善をする気配もなく、愛知万博も無事に終わったので次はこれだ、 今まで以上に頑張れ的なことを言い出したのであほくさくなり、 あなたがそんな調子なら辞めますねと 宣言した。 その1ヶ月後に退職願いを出したら 大騒ぎになった。ネタだと思われていたのかもしれない。こちらとしては 1ヶ月も前から言ってたじゃないかという心境でしかなかった。

_ 上にいる人達の行いや人格にこそ嫌悪感を覚えてはいたが、仕事の内容そのものに 巨大な不満があったわけではないし、仕事の過程で顧客と関係を築いていったり、 仲間と問題を解決してゆくということには 人並に喜びを得ていたと思う。屈折した感覚のつづきのような 話になるが、 仕事に対するやりがいを求めていないとはいえ、自身の努力によって 顧客の満足につながってゆくとか、チームのパフォーマンスが改善するといった 現象そのものには人並かそれ以上の熱意はあるつもりなので、なおさらその 繊細なバランスで成立している私の努力を搾取する人間には許しがたい 感情があったとは思う。

_ 私の職業観はそんな感じで今でも大きく変わっていないので、 人間関係が度を超してひどいとか、関係改善の余地がない、 といったことでもなければ、環境に大きな不満があっても仕事はそんなもんと 早々に納得してしまうほうだと思うし、 仮に新しい環境を求めることになった場合にも、別にやりがいは求めてないし 仕事を通して自己実現…!! とかは不健康だと思うような屈折した感覚を 現実とすりあわせる億劫さを考えてしまうところがある

_ 辞める前後の話に戻る。20名そこそこの会社で、私が関わっていた部分は 決して小さくなかったし、私の能力によってどうにかなっていた部分も 相当数あったと思う。私の能力が世間一般の 平均を上回っているかどうかは分からんが、 少なくともA社の中では有能な方ではあったと思うので、抜けた穴は決して 小さくなかったとは思う。 ただ残された人々が穴の大きさを真剣に考えていたかどうかは疑わしく、 実際辞めた翌日にさっそく大炎上していたので、そこでようやく開いた 穴の大きさを自覚したのかもしれない。 最終出社日に日付変わってからも 一人だけ残って仕事していたし、9月に入ってからも一週間くらい会社に 出入りしていたのは、開いた穴を埋め合わせするために私が 余計なお節介をしたという話なのだと思う。

_ 米沢に残って仕事を探すつもりはまったくなかったので、 実家のある神奈川に戻った。社会保健は任意継続せずに国民健康保健に 切り替えたような記憶がある。 米沢を去ったのが9/20で、粗大ごみの始末などをA社の同僚に 手伝ってもらったりしていたし、 私以外にもA社→B社に転職した人間はその後けっこうあらわれたので、 そういう意味でも前職での人のつながりは残っている。 そのため、ある日を境に関係を完全に断つといったような 劇的な変化をしたわけではない。

_ そんな感じで人とのつながりを残したまま辞めたし、辞めた翌日からも 会社に顔を出したりとよくわからない状態だったし、そういう意味でも 辞めた翌日からの感覚は不思議だった。解放感というものはほとんど 感じなかったと思うし、 ただA社に起きていることとの距離が広がり、はっきりと他人事になった、 ということに対する爽快感と喪失感だけが強く印象に残っている。 5年ちょっとのかなりの時間を費していた環境が遠く離れていった…というか 自らの意思で離れたのだが、それによって当事者意識が完全に消失したというのが とても不思議な感覚だった。とはいえ寂しさのような強い感情ではなく、 ちょうど引越しのときに抱く、ずっと自由に出入りしていた場所が、 ある日を境に二度と入れなくなってしまうという、 その境を目のあたりにしたときの感覚に似ている、という程度ではあった。

_ 以上のようなエピソードから、動画にあったような前向きなアドバイスが できるとは思えないが、私の狭い世界での乏しい経験であっても、また、 私のような屈折していると思われる内面の持ち主であっても、 環境を改善して人とのつながりを保つ努力を続けていることで、どうにか 自身の居場所を20年以上確保できてきたと思う…という一例にはなっていると思う。


2026/01/06 (Tue)


= Tlog

_ 寒い・日射しが強い。乾燥しているので洗濯物の乾きも悪くない。

_ 室温は20度前後をうろうろしており、このくらいになると 防寒装備だけでは少し寒さが染みてくることがある。 どうにも耐えられなかったらエアコンつければ済む話なので、 温かい飲み物を飲みながらやりすごすことにする。


= ジェイク

_ ひきつづき入院中。妻がお見舞いに行っている。 抗癌剤の効果でしんどそうだが、心配したほど衰弱しているということはないようで、 また血液検査の結果抗癌剤が腫瘍を攻撃していることを伺わせる数値も 出ているようなので、今のところ期待通りの経過を辿っているようだ。


2026/01/07 (Wed)


= Tlog

_ 気温は低目。部屋もけっこう寒い。 ジェイクが入院しているのでリビングのエアコンを 止めているのも影響しているかもしれん


= ジェイク

_ 入院中に不安やストレスで弱ってしまうのではないかと心配していたが、 妻が見舞いに行って、帰った後に妻が不在になったことに怒って吠えながら ささみジャーキーを食べる、というような振舞いをしているらしい。それは 自宅で留守番させられているときと同じだ

_ 経過は順調で、このまま問題なければ明日退院の運びらしい。


2026/01/08 (Thu)


= Tlog

_ 今日はけっこう気温が低く、そして風がかなり強かった。日中は 自転車を走らせるのも憂鬱になる逆風で、夜になっても風はそれなりに強く 体感温度がかなり低く感じた。 夜に自転車を走らせたところ、まあ寒い分には自転車を走らせることに 苦労はないというか、中途半端な温度で汗ばむくらいなら寒い方が ありがたかったりするのだが、それでも風が強いのはけっこう辛い。 身体の冷えかたが通常以上になってしまう


= ジェイク

_ 朝に妻がTELしたところ、抗癌剤投与後大きく改善したはずの 腎臓の数値がふたたび悪化しており、退院できるかどうかは日中の様子を 見てということになった。

_ 仕事終わってから自転車で病院まで行きジェイクに会ってきた。 妻は日中の面会が許されている時間帯はほとんど病院でつきっきりだが、 妻によるとこれまでで一番元気がないと感じたらしい。 目の力を失っているわけではないが、眠そうにしている時間が長く、 本来あまり好きではないはずの抱っこされたままの姿勢で寝ようとしたりと やはり本調子ではないことを伺わせるものがあった。 結果入院は延長ということに

_ エコーで見る限りでは 腎臓の形状 (腫れと表現してきていたもの) は大きく改善されているとのことで、 腎臓の数値が悪化する原因として考えられるものはいくつかあるようで、 腫瘍崩壊症候群が今でも続いている、というか遅れて発生している、 という可能性がひとつ。遅れて、といっても遅すぎるというほどではない。 ほかには、単に腎臓の機能に障害が出ているという可能性。

_ つぼみのときにもあったが、腎臓をケアする方向の処置をすると 心臓に負担がかかることになるので、そのバランスが大変だ。 ジェイクは心雑音はあるけど年相応という感じなので、腎臓に対する処置を 強くするかどうかは心臓の状態によって決まるらしい。


2026/01/09 (Fri)


= Tlog

_ 週末の三連休にかけてさらに寒くなるようだ。室温も、寝る前には16度台まで 下がっていたのでなかなか大変。とはいえ、前の部屋に比べればまだ全然 室温は高いほうで、このくらいが最低であればエアコンなしでも十分耐えられる レベルではある。


2026/01/11 (Sun)


= Tlog

_ 今日もジェイクのお見舞いのために自転車で移動したんだが、13時過ぎまでは 比較的暖かくて上着いらないくらいだったのだが、 14時過ぎに帰路についたときにはかなり気温が下がっており、むしろ上着を きちんと着込んでいても冷気が染みこんでくるような感じだった。 実際5〜10度近くの気温変化があったらしい。 この3連休は雪降るかも…?と言われていた割にはぜんぜん暖かいじゃないかと 思っていたが、3連休の中で大きく変化するものだったらしい

_ 昨晩病院に行ったのは20時過ぎだった。 夜でも15度近くまで上がっていたようなのでかなり暖かかった。もちろん 自転車乗っている最中に上着は不要な感じだった。 そして昨日〜本日共通しているのは風が強いということか… 逆風の中自転車を走らせるのは少し大変。


= ジェイク

_ 一昨日だったか、昨年末の生検の結果が 速報で出たそうで、腎リンパ腫の確定診断となった。

_ 入院は継続。腎臓の数値は大きく改善、そのかわりに炎症関係の 数値が悪化。いわゆるCRPが高いときの体調に近い。喰いつきがひきつづき悪いので 食べてくれるなら…と普段与えないような鶏肉や豚肉を食べさせているのも 影響しているのだと思われる。

_ ともあれ体調はだいぶ改善してきており、腫瘍溶解症候群も落ち着いたようだ。 抗癌剤は火曜にもう1回投与するらしい。それまで入院は継続で、 エコーで検査している限りではすでに腫瘍は小さくなっているだろうから 腫瘍溶解症候群の影響もあまりないだろう…ということで、2回目の抗癌剤投与後に 退院できるような流れになる予定


2026/01/12 (Mon)


= Tlog

_ 気温はひきつづき低い。天気が悪くないので雨やら雪やらが降る気配はないが


= ジェイク

_ 今日は仕事だったのでジェイクに会いに行くことができなかった。 妻が見舞いに行った。祝日なので病院はお休みだが、 ほかにも患者さんがお見舞いに来ていたり、ホテルの利用者がいたり、 なんだかんだで活動はしているらしい

_ 食欲はかなり戻ってきているようだ。妻がいないときは寝たり起きたり 怒ったりしているらしく、妻がいるときはむしろ寝る時間と考えているのか、 見方によっては元気がないような、単にテンションが低いだけのような、 そんな感じだったようだ。

_ 明日は2回目の抗癌剤を投与して、 調子がよければそのまま退院の流れになるらしい。


2026/01/15 (Thu)


= Tlog

_ 寒すぎず、かといって暖いというほどでもなく、晴れている。という日が 続いている。

_ そして台風1号が発生したそうだ。 昨年は6月に入るまで発生せず 半年近く(必要のない)焦りを覚えていたわけだが、 今年は早々に発生したようだ。1月に台風1号が発生したのは2019年以来らしい。 しかしZHTには記録が残っていない…


= ジェイク

_ いったん退院になった。

_ 火曜日に2回目の抗癌剤を投与して、 妻が夜にお見舞いに行ったときは 多少ぼーっとしつつも鶏肉のジャーキーをけっこう食べるなど 元気を取り戻した感じだったが、抗癌剤を投与する直前の血液検査でも 腎機能が少し悪い数値になっており、昨日は何も食べずに しんどそうにしていた。そして今日は強い吐き気のせいか 朝からよだれが出て、少し横になったと思ったらすぐに立ち上がって… というのを延々と繰り返していた。ジェイクがよだれを垂らすというのは 今までに見たことがないことではあったが、横になったと思ったら 立ち上がる…というのを繰り返しているのは、 ジェイクを迎え入れて数ヶ月後にあった動きと 似ているように思う。

_ 21時過ぎに血液検査の結果を教えてもらったところ、 全体的に数値は大きく改善しており、炎症関係も腎機能関係もほぼ正常値に 近いところまで戻っていた。なのでこれは抗癌剤の副作用による吐き気ということに なるようだ。吐き気止めも入れているので、今日が吐き気のピークであろうという話

_ 食欲不振は続き下痢もあるようだが、その後の検査で肺も心臓も 問題なしということで、次の抗癌剤投与までは退院して療養しても問題ないという 判断になった。吐き気や下痢はもう少し続きそうなので、それが長引くようなら 火曜を待たずに通院だが、そうでなければ次の通院は火曜になるようだ。

_ ジェイクの病院生活は思ったほどジェイクにとってストレスではないような、 とはいえ妻がいないときにはけっこう怒って吠えていたりもしていたようなので それはそれでストレスのような気がする。自宅でほとんど常時妻と一緒にいて ゆっくり眠れる状態が本人の回復にとってもメリットが大きいものであればいいのだが


2026/01/17 (Sat)


= Tlog

_ 昨日〜今日と気温が高めで、日中は15度を超えたりもしているようだ。 夜もあまり厳しい寒さではない。


= ジェイク

_ はっきりとした表情で周囲を見回す時間もあったり、 反応が鈍い感じでずっと寝ている時間もあったり

_ 夕方〜夜あたりにまた少しよだれを垂らすようになった。 まだ薬が切れると気持が悪いのかもしれない。薬を飲ませて、補液をして、 数時間後には食欲も出てきたようで少しおやつを食べてくれた。 明日まで何も食べる様子がなければ再度通院、ちゃんと食べてくれれば 次の火曜の抗癌剤投与まで通院なし、という予定だったので、 食べたり飲んだりをしてくれたのはうれしい

_ その後もわりとしっかりとした足どりで歩きまわったりしていた。 食べて飲んで、ゆっくり寝るようになれば体力も少しずつ戻ってくるだろう


= 【山形閉店情報】米沢・南陽店も閉店です - やまがたぐらし

_ わくわくコマレオといえば米沢に住んでいた頃は わりと至近距離にあるホームセンターだったのでよく行っていた。 ZHTには載っていないが キックボードを買ったのもここだ。 向かいの建物に食料品売場があって、お酒やおつまみなどが豊富に並んでいたので むしろそちらの方がよく行っていたかもしれない。

_ 私は「コマレオ」「レオ」と呼んでいた。 わくわくコマレオというのがお店の名前だったのか…


= キックボードとトレンクル

_ 米沢に住んでいた頃はひと駅離れるともう山の中で、駅と駅の間は わずかな山道や街道といったものがある程度だった。そういう環境をとても 気に入っていた私は毎週のように電車で移動できる先に赴いては 山歩きのようなものや、街道歩きといったようなものをしており、 移動先に自転車とか、そういう乗り物を持ち運ぶことができたら もっと行動範囲が広がって楽しいかもしれないとずっと思っていた。

_ 2000年8月に数日悩んだ末に購入していた。 パチモンだったのではと思ってしまったくらい 雑な造りだった。JDRazorのロゴがあったので当時の純正品だったのだろうけど… ともあれ最初の段落に書いたような移動手段として理想的なのではと思い買い求めた。 ただ、まともに使ったのは数ヶ月で、すぐに手放してしまったように思う。 思ったほどコンパクトでもなく、そして軽くもないというのと、 何よりも、思ったほど楽な移動手段ではなかったというのが大きかった。 舗装された平地であればよいのだが、私の移動先は劣化した舗装路、山の中、 坂、などが多かったので、そういうコンディションではあまり 楽な移動手段ではなかった。

_ その後トレンクル7500を買ったのも 同じような動機だった。400円のコインロッカーに格納できるという触れこみで、 折り畳み自転車としてはコンパクトで軽かったとは思うが、それでも 7500gで400円コインロッカーにおさまるサイズというのは、持ち運ぶには ちょっと…重かった。それからタイヤが小さい(14インチ)ことも影響してか パンクしやすかったのも残念ポイントだった。これは前職を辞めたときに 実家に持って帰り、長いこと納屋に入っていたが、 その後都内のアパートに持ちこんで… それでもほとんど利用機会がないままだったので同僚に譲ってしまった。


2026/01/18 (Sun)

_ ジェイクの体調も気になるし、仕事もあるしなので基本的にはほぼ家にいた。


= ジェイク

_ 昨日に比べると少し活動が鈍い。食欲も示さないし、下痢をしているので その点も辛そう。呼吸も荒く体温も高く感じる。 出すものを出して、補液と投薬を済ませて1.5hくらい経過したらようやく 落ち着いて寝てくれるようになっている。

_ 足どりも昨日ほどしっかりしておらず、ふんばっていられずに フトンに身を預けるような寝転がりかたをすることも

_ なんだかんだでほとんど喰ってないし、薬が切れると吐き気や下痢が 復活するようなので、火曜の通院まで自宅療養で大丈夫かどうかが 見えづらいところがある。抗癌剤投与後の典型的な経過なのかも いまひとつよく分からない。


2026/01/20 (Tue)


= Tlog

_ 昨日から少しずつ気温が下がってゆき、今日は冷たくて強い風も 吹いておりなかなか寒い。ここのところ吹く風は、看板やら自転車やら、 脆弱な建造物…というのか、仮に組まれた柵だとか、そういうものを 薙ぎ倒してゆくような突風というべきものだ。

_ 新居のバルコニーは生け垣で隔たれているので強風の影響はほとんどない。 また、雨もほとんど入り込んでこないので天気がよくないときでも 比較的安定して洗濯物を干すことができている。


= ジェイク

_ 日曜の夜〜月曜は動きが鈍く、下痢もしていた。 そして毛の薄いお腹のあたりを触るとけっこう熱かったので妻が予定より 一日早く病院に連れていったところ、やはり感染症を示す数値になっており、 逆に腎臓の方は良好な数値を保っていたとのこと。 ステロイドを増量。下痢は昨日の夕方が最後で、それ以降は多少は 楽になったのだろうか… 今日は、おしっこのために自分でトイレに 歩いていったりということはできている。ただ、あいかわらず食欲はないようで 何も食べていない。そろそろ強制給餌を考えないといけないタイミングらしい。 ちゅーるを水で緩くして、シリンジで飲ませる…というところから

_ 23時過ぎに少しおやつを食べたらしい。ちゅーるが呼び水になったのだろうか。 最後に喰ったのは日曜の夜だったと思うので、とにかく食べる意欲が出たのは うれしいニュースだ。あまりいきなりいろいろ食べて吐き気が復活しても 可哀想なので少しずつ与えてゆかなければいけないけれども


2026/01/25 (Sun)

_ 気が滅入るエピソードばかり畳みかけてきている。


= Tlog

_ 寒い日が続いている。風が強い日も多く、そういうときは日中でも外に出ると かなり寒さが染みこんでくる感じだ。

_ 今年に入ってから雨はほとんど降ってないような気がする。そして17時過ぎても まだ外はかなり明るい。冬至は12/22だったらしい。なのでこれからは どんどん日没が遅くなってゆくフェーズのようだ。


= ジェイク

_ 月曜の通院以降、体調はだいぶ回復傾向にある。 体力を戻すために抗癌剤の投与はぎりぎりまで延期することになり、 1/20→1/26となった。 効果が持続する限界はだいたい2週間らしい。

_ その後も体調は少しずつ回復し、食欲もかなり復活。 それなりの量のおやつや、白身魚ベースのフードも少しずつ食べるようになってきた。 そして今日久しぶりにうんこをした。形状を保つ程度にはしっかりしてくれており、 腸の活動も再開された感がある。 水曜くらいまでは下痢の苦しさから…という感じだった。

_ 足腰もだいぶ弱ってしまっているが、歩きまわる分にはとくに問題ない程度には 回復しているので、自分でトイレまで歩いていったり、水を飲みに行ったり、 妻や私の後をついていったりといったことがわりとできている。ただ 不安定な足場の上、たとえばフトンの上を歩く、などはむずかしいようだし、 段差を超えるなんてのもまだできないようだ。


= 錦糸町〜押上

_ 今でもよく行く場所なので、少しずつ街並が変わってゆく様子を 興味深く見ている。

_ 錦糸町丸井にハードオフができていた。 年に1〜2回丸井の入口付近でハードオフの買取イベントがあったので、 入口付近に立っていたハードオフののぼりを見てああまた買取イベントやるのかな… と思ったら店舗が入ったらしい。そんなに広くはないが至近距離にハードオフが あるのはうれしい

_ そしてテルミナの 有隣堂が閉店したらしい。 3年前にヨドバシAKIBA店が閉店したときに、 まだ錦糸町があるし…と思っていたらこちらも閉店してしまったそうだ。 なんとも寂しい…。 ただアトレ亀戸にもあるらしい。昔からだっけ?

_ 魚民押上駅前店閉店だそうだ。 入ったことはないが… 魚民と、その下の「くすりの福太郎」は はじめて押上に住んだときにはもうあったと 思う。


= パンを蒸すと食パンは飲めて、チーズ蒸しパンは萩の月に、メロンパンはプリンになる :: デイリーポータルZ

_ 未だに「ごくごくと飲み干したくなるパン」が 私の中では金字塔的 (悪い意味で) 表現として強く印象に残っており、 以来「パンを飲む」という表現には身構えてしまうところがあるが… 大変に興味深い記事だった。


2026/01/26 (Mon)


= Tlog

_ 週開けは外で過ごしてもらっている温度・湿度計つき電波時計を 朝になって取りに出たときには3.7度だった。室温は18度くらい


= ジェイク

_ 3回目の抗癌剤投与だった。非細菌性膀胱炎に備えて利尿剤が処方されている。 非細菌性ということなので抗生物質も効かず、 もしなってしまうとかなり長引くらしい。

_ 朝方はかなり食欲旺盛、足どりもしっかりで出発していった。今回の 抗癌剤は胃腸の働きに影響があるような副作用はあまりないと思われるそうで、 実際帰ってきてすぐにいろいろ食べたり水飲んだり、おしっこしたりと 活動的ではあった。夜になって少し動きが減って、おやつも食べようとしなくなった。 やはりしんどいのかな…と思えてくるが、 それでも妻の後を追ったりはしているので、 日中あまり寝る時間がなくて単に疲れているだけの可能性もあるかもしれん


2026/01/27 (Tue)


= Tlog

_ 室温が低くならないのはありがたいことでありつつ、羽毛布団をかけると 状況によっては少し暑いかも… ということにもなるので贅沢な悩みだ


= ジェイク

_ 今回は体調を大きく崩すこともなく、それなりに物も食べてくれている。 ただ、3回目の抗癌剤を打つ直前よりも元気ということはさすがになく、 動きが鈍い感じでじっとしていたり、先程も食べたものを吐いてしまったり、 といったことがあるので、やはり抗癌剤の影響は小さくないようだ。


2026/01/29 (Thu)


= ジェイク

_ 食欲もけっこう旺盛で、昔喰ってた半生のフードを手から 食べてくれた。足どりもかなりしっかりしている。


= 左足

_ 私の部屋には大きめの姿見があり、本来は壁かけ用なのだが 設置先が決まっていないので私の部屋に仮置きしてすでに半年経過している。 私の部屋にしてもまともな置き場所がないので通路に沿って立てかけており、 そして今日何も考えずにその付近を通ろうとしたら目測を誤って その姿見に足がぶつかった。それなりに重たいものなので蹴倒すようなことには ならず、逃げなかった力がそのまま私の左足の小指にかかった。

_ たんすの角に足の小指をぶつけて骨折、というのはわりとよくある事象らしいし、 たんすと姿見に違いはあれど私も同じことになったのかしら…となさけない 気持になりつつ、歩くたびに痛みを覚えるというほどではなく、 押したら痛い、 曲げ伸ばしで痛い、青あざになっている、という感じなので打撲+筋を痛めたという 感じなのかな…と自己診断しているが、 過去にも引用した 古賀さんの記事によると「激痛があるわけではない。ぶつかった部分を押したり、 グーパーすると痛むが、そうでなければほんのうっすらと鈍痛があるくらいだ」と 通院前の状態を描写しており、 それは今の私の状態と見事に一致しているのだった


2026/01/30 (Fri)


= Tlog

_ 今週中盤は雪が降るのではと言われていたが結局予想に反して気温も けっこう上がり普通によい天気だった。ただ北の方はかなり豪雪になっているようで 交通機関もいろいろ乱れているようだ。


= ジェイク

_ 体調はよくなっていっているのだと思うが、波立ちながらトータルで 右肩上がりという感じもあるので、つねにさっき見たときよりも元気になっている といった感じではない

_ この波立ちは、薬が効いてくるとか、切れてくるといったタイミングにも 影響しているのだろうから、まだまだ道のりは平坦ではないことを 伺わせるものがある。とはいえ普通のフードも食べてくれるようになったので、 ほんの10日ほど前には強制給餌を考えなければという状態だったことを考えるとすごい変化だろう


= 左足

_ 腫れ、痛みの様子は昨日とあまり変わらず、痣が広がっている。 歩くだけで痛いといったことはないし、仕事は仕事でやることたくさんだし、 様子見にまわっている。


= 「ロックマン」の生みの親である稲船敬二さんがついに岡本吉起YouTubeにやってきた!カプコン時代のお話を深掘りします【稲船敬二さん特別対談(1)】- YouTube

_ 岡本吉起氏の動画は欠かさず見ているというほどではないもののたまに見ており、 稲船氏の名前はほとんどまったく出てこないし、たまに出てくるときは ほとんど肯定的な文脈ではない上にイニシャルだったりといった 調子だったので、この先も出ないのだろうと思っていたが、 それだけに、おすすめに出てきたサムネを見て思わず声が出た。

_ クリエイターとしての両氏を評価できるほど作品達を理解しているわけではないし、 その作品の中で本人がどういう役割を果たしたのか、我田引水を排除した 評価を知る由もないし、私はアーケード・コンシューマーという括りでゲームを 考えたときに、その枠の外にあったパソコンのゲーム、という世界からしか それらを見ることができなかったので、私にとってゲームメーカーといえば 日本ファルコム、アスキー、光栄、ゲームアーツ、ボーステック、BPSといったところが まず視界にあり、カプコンはその外側の世界だ。 それでも私は昔話や思い出話が好きなので、こういう対談ものには弱い。 昔話・思い出話は、その語り口に、 エピソードに対する本人の捉えかた、受け止めかたがよく現れるので、 そういった語りと、それを聞いている自分自身の思い出が共鳴するような 感じがする。これも長く生きてきたことの副産物なのだろう。 なんだかんだ言って当時楽しんだり眺めたりしていたゲームの中の 人達であったことには違いないので、私のひとまわり上の世代の人達が当時の ことを語るというのはそれだけで私にとっては貴重な話なのかもしれない




Zinnia (zinnia@risky-safety.org)
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