Zinnia hacks tomorrow. (2024/12)

2024/12/08 (Sun)

_ いろいろあった。あまり明るい話ではない、という話ばかりだ。 私自身の体調はさほど悪くなっていないと思われる。が、別によくもない


= Tlog

_ 11月下旬には台風の気配が完全になくなり、雨もほとんど降らず 日中日射しが強いときはけっこう暖かく、夜もそこまで冷えこまないので 全体的にとても快適な毎日だった。家で仕事しているときも 大袈裟な防寒装備をしなくても過剰に冷えることはなく、着る毛布だけで なんとかなる日が多かった。

_ …というような気候は今日で終わりのようで、夕方から一気に寒くなった。 室温も17度台までしか上がらず、もっと着脹れしなければ寒くて やってられんというところまで来た。あと追加できるのは レッグウォーマーだけだ。

_ 水元公園〜みさと公園の紅葉は間もなく終わりそうだ。今日になって 強めの風が吹いていたのでだいぶ散っていった。どうも木枯しだったようだ


= カメラ

_ ここのところあまり深く考えずに撮りたいという気持が強かったので α55Vにお手軽ズームレンズをつけて持ち歩くことが多い。 KONICA MINOLTA の18-70mm F3.5-5.6やTAMRONの18-200mm F3.5-6.3など。 18-70mmの方は、久しぶりに使ってみたところ、けっこう逆光に弱いんだなということを 今更知った。TAMRONの18-200mmは、やはり広角寄りの周辺部分がぼやぼやで、 絞ってもあまり改善していないようなので構図によってはかなり不自然に見える。 望遠側はボケもそんなに悪くないしけっこう寄れるので面白い。

_ カメラといえば、moto g24で撮った写真はこれまでのものよりも 役に立つことが多いなと思う。光学性能というよりは、画像処理エンジン的な 進化によるものなのだろう。HDRもしっかり効くし、暗所でも けっこう綺麗に撮れている。綺麗すぎて嘘っぽいという感覚もある。 見たままの景色とも記憶の景色とも一致しない画づくりだ。 室内でジェイクを撮ってみると、この感度でこんなにノイズ少なめで、かつ 毛並がしっかり見えるようなことにはならんだろう、と感じてしまう。


= GitHub - vcraftjp/VZEditor: MS-DOS Text Editor

_ 大変になつかしい。Vz Editorはソースもついてきていたので、当時 いろいろ一生懸命読んでいた。とくに STD.INCの構造化マクロなどには非常に感銘を受けており、 影響されて自分でも同じようなものを作っていた。c.mosさんのものは 整数の各ビットでラベルを管理して、シフトでスタックを管理している とてもエレガントなマクロだと思う。 ネストレベルに制限があったので、私はこれを参考に ラベルや変数をマクロで作りながらスタックを実現して、 ネストの制限のないものを作っていた。 制限といっても16段 (だったと思う) はネストできていたので、実際には ほぼまったく問題なかったと思うが…自分ならこう作るかな、と思いながら あれこれ試行錯誤してどうにか完成できたときはとても嬉しかったのを覚えている。

_ その後発売されたMASM6で構造化擬似命令がサポートされるようになったと 聞いていたけど、これらマクロ群が気に入りすぎていた上に TASMのIdeal文法が大好きだった私は別に羨しいとも思わなかったし、 MASMパワープログラミング、 master.lib 等々の力のおかげでこれもう高級言語だよ、と思っていたもんだ。 以前も書いたが当時一生懸命いろいろ作っていたものたちは HDDが飛んでしまったのでもう残っていない。

_ 構造化マクロのことをc.mosさんご自身が解説していた。


2024/12/12 (Thu)


= 口内炎

_ とても久しぶりになった気がする。そして勢力があまり弱まらず不快な痛さが 数日続いている。


= Tlog

_ 一気に寒くなった。風が冷たい。


= tevaのサンダル

_ 散歩していたら突如壊れた。ベルトの付け根のところがちぎれた。 つまづいたとか、ひっかけたとか、そういった力が働いたわけではなく、 ただただ劣化によって壊れた感じ。ベルクロもかなり劣化しているし、 ソールもだいぶくたびれている。 買ったのは2022年8月末なので… 2年半で壊れたことに。思ったほどもたなかったなあとは思うが、 夏冬問わずほぼ毎日使っているし、それなりの距離を歩いたりしているので 十分使えたほうなのかもしれない


= 消耗

_ 物もちが良いわけでもないが、多少壊れても使い続けるので 結果同じものを長く使い続けることになる。 サンダルはさすがに駄目になってしまったので買いかえるとして、他にも くたびれてるものがないか… 使っている最中はくたびれていることを 忘れがちなのでメモしておかなければいけない。 それを見せなければいけないということはないが

_ まず眼鏡。近いところが見えづらくなっているかわりに近視は 改善しているらしいので、どっちにしても今後合わなくなってくるだろう。 それに加えてコーティングがだいぶ劣化しているようで、隅の方に 拭きとれない筋のようなものが。

_ あとはノートPCたち…dynabookはバッテリがほぼ死んでおり 電源供給がなくなると数秒で電源が切れてしまう感じだ。これまでも あちこち不審な点があったので、あれこれ交換しながら延命させることが本当に 正しいのだろうかという感がある。 あとはあまり活用できていないVAIO T Seriesの方は 0 キーをはじめとした いくつかのキーの効きが悪いようで、当初から跳ね返されることの多かったこの キーボードの完成度がより高まったような気がする。

_ うちにあるゲーム機は初代のWiiが一番新しく、あとはDSとPS2しかない。 ノートPCたちは最近のゲームができるスペックではなさそうだ。そもそも 自宅にWindowsマシンがない。ノートPCにスペックを求めるよりも デスクトップの方が安く済むし、それなりのスペックのデスクトップがあれば ノートは補助的に使えるもので十分ということにもなりうるかなと思う。


= グラスコード

_ 眼鏡といえばグラスコードは 継続して使っている。やはりいつでも外したまま移動できるというのは 快適で、もうこれなしの生活は考えられないところだが、一方で 何の不自由もないかというとそうでもない。まず身につけたままに しやすいという利点の反転として、完全に外したり戻したりするときに 少し手間がかかり、そしてそのときにレンズが髪の毛に当たったりして 汚れるケースも増える。つけるときは最初にコードを首にかけて、その後に 眼鏡をかけるという動きになるのだが、眼鏡を畳んだ状態では首にかけづらいので 伸ばすことになり、うっかりするとフレームが目に飛びこんでくるなんてことにも なりがちだ。寝惚けているときはとくに注意が必要

_ そしてなにより、首の下あたりに眼鏡をぶらさげておくことで、 自分がいかにいろんなものを零しているのかを思い知らされるケースが多い。 食べたり飲んだりしたものが自覚なくこぼれていて、結果眼鏡をかけなおしたときに 汚れていたことに気付くなど。それもあって、物を食べたり飲んだりするときに 眼鏡を垂らしておくというのはできず、つけたままにするか、完全に外すかの 二択となり、良さを生かすことができない。

_ そんな問題を抱えつつ、おおむね便利に使っている。とくに繰り返し書いている 通り眼鏡をつけると近くのものが見えづらくなっているので、そういう意味でも 外したいケースは増えているし、外を歩いているときや乗り物での移動中などに 手元と周辺だけ見えていればいいということであれば眼鏡を気軽に 外すことができるので大変に快適だ。


= ACM

_ 昨年は悩んだ末更新することにした。 今年は…更新しない方向で考えている。今年はほとんどまったく利用しなかった。 使ってないなあ、ちゃんと使うようにしなきゃ、と 思いながらもう11ヶ月経過してしまった。悩んだ末に更新しておいてこの有様なら、 今の私の生活の中では活用できないということなんだろう。

_ 今の生活という点では、公開されているドキュメント類だけで ほぼなんとかなっているという状況。書籍を自由に見られる環境が あった方がいいんだが…というケースが無いわけではないものの、 そのためにほぼ休眠状態のアカウントを維持するというのはさすがに バチあたりだろう。 無理にでも活用する道を探ることもできなかったのだからなあ


= カメラ

_ 何か大きな進展があったというわけでもなく、 しかし関心を失っているわけでもなく、生活の一部として落ち着いた感がある。 落ち着いたといっても新しい何かを欲しいと思うことがなくなったわけではない。 なので今思うことなどをいったん整理するか…と思っておそらくもう半年以上 経過していると思う。考えたくないとか、書きたくないとか、 そういう深層心理を疑ってしまうような先送り感がある

_ マウントアダプタいくつかとレンズ1つ (ジャンク) があるので、Eマウントの ボディ欲しいなあと思ってチェックを続けていたが、NEXはどんどん高くなってゆき、 一方でα7、α7IIはじわじわと安くなってゆく感じで、どっちにしても 気軽に手を出せる感じではなくなってしまった。α7シリーズはこの先数年以上 生きていればいつか手に入れたいとは思うが…まだ今ではない感がある。

_ フルサイズへのあこがれというのが拭い難くあり、その気持もあまり衰えることなく 続いている。M4/3やAPS-Cに何か限界を感じているというよりは、 フルサイズの世界がどんなものなのか実感してみたいとか、オールドレンズを 本来の画角で使ってみたいといった欲求だ。おそらく一番手が出しやすいのは EOS 5Dだと思う。MarkII もかなり安くなってきているようだ。 今手元にはまともに動くCANONのカメラがないのでそういう点でも一石二鳥感がある。 ただキタムラではもう半年保証のつく対象ではなくなってしまっているようだ。 6Dはまだ大丈夫?そろそろだめ?というあたりらしい。

_ Nikon D700 も比較的お手頃のようだ。あとは同価格帯でα900も たまに目撃することがある。ただ、NikonはD70がそこそこまともに使えているし、 αも55Vがあるのでそこまでできることが増えるというわけでもない。

_ *ist DL2を使って、ファインダー倍率がそこそこ確保されているDSLRだと マニュアルフォーカスで普通に使えるのでとても快適だという発見があった。 ミラーレスのLCDファインダーでも拡大を駆使すればピント合わせは可能なんだけど、 目で見るだけでピント合わせができる手軽さは圧倒的だ。 *ist DL2よりもうちょっと倍率が高ければさらによいのだが… ということで *ist DS にも関心がある。

_ α55Vは最近の使用頻度が高いものの、やはりα100のかわりにはなりきれないところが あるので、α200か300、場合によっては350、の安いものが出てこないかを、 これはこれで探している。ただこちらはじわじわと価格が上がっているようなので、 よほど運がよくないと出会えないかもしれない。 一方EOS 20D〜40Dあたりはかなり安いものを大量に目撃しているので、 背伸びせずにこちらで落着くのが正しいという気がしないでもない。

_ 画素数と感度だと後者を優先する傾向がある。 トリミングしてでかく印刷するみたいな用途なら画素数は大事なんだろうけど、 そういうことでもなければシンプルに1枚あたりの容量がでかすぎるという デメリットの方が大きく感じてしまう。高感度だと暗所でも安定して 綺麗に写ってくれるのかなあ?という期待がある。ただそれは高感度に対する 過度な期待もあるのかもしれない。夕暮れどきにα55Vや*ist DL2などの ISO AUTOで撮っていると、肉眼ではどんどん日が落ちていってるのに、 いつ撮っても曇天の昼間みたいな感じで写っていたりとか、 あとは夜に感度上げたりシャッタースピード落としたりで撮影すると、 やはり肉眼で見たときとは明るさに対する感じかたが随分違っていて、 たとえば街灯の周辺が光の玉みたいに見えてしまうとか、 いろいろと不自然な感じがする。ので、ISO5万とかそれ以上の世界での見えかたが 自然かと言われればそうでもないのかもしれない。実際α7SIIだったかの サンプル動画で、夜中の焚火を写しているところが感度上げると 天気の悪い日中みたいに見えていたのを覚えている。


2024/12/14 (Sat)

_ 今日は日中から冷たい風が吹いており寒い。


= TEVA hurricane XLT 2 US9.0(26cm)

_ 届いた。これまで一貫してhurricaneのシリーズにしており とくに他を選ぶ理由もないのでそのまま踏襲している。 さっそく一時間くらい歩いてみた。とくにどこかが痛いということもなく 快適に歩くことができた。


= 格闘ゲーム

_ これまでやってきたことをまとめておきたいと思いつつ何もしない…というのが 1年くらい続いたので、いい加減なんか書いてゆこうと思う。 一回でまとめるような内容ではないので、今後ばらばらと書いてゆくつもりだ。 別に輝かしい実績を残したプレイヤーというわけでもなく、 むしろどの時代にもいる平均以下のプレイヤーなので、そんな特徴のない人間の 記録を残すことの意味が本人とその周囲以外にあるとは思えんが、 本人とその周囲のために書く文章を残すための場所なのだから、それ以上の 価値がなかったとしても最初からそうだったという話でしかない。 いつもの弛緩した書き出しになってしまったが以下まとめてゆく

_ 格闘ゲームは初期の頃から対戦ができることが大きな特徴で、私としても 対戦ができるゲームというのはとても新鮮な体験だったし、それなりに 熱中していたと思う。ただ「対人」であることは別に必要ではなかった。 仲のよい友達同士で家庭用ゲーム機を囲んでやる対人の対戦であればともかく、 ゲームセンターやゲームコーナーで対人の対戦が始まるということは 平均以下のプレイヤーである自分にとっては、もうすぐこのクレジットでの ゲームが終わることを意味しており、誰にも乱入されずにできるだけ 長く遊んでいたいという気持の方が強かった。昨今のランクマッチとは異なり 同じくらいの実力の人達同士とマッチするわけでもなく、むしろ乱入された相手が どのくらいの実力なのかも分からないまま対戦させられることになり、そして しつこいが平均以下であるプレイヤーとしては負ける可能性の方が高いので、 結果としてこれも繰り返しになるが乱入=ゲームがもうすぐ終わる、 という感覚になる。

_ 最初にやった対戦格闘ゲームはストリートファイター2(SF2)で、 3D格闘ゲームなどもやっていた。ストリートファイターZERO2までは とてもはまっており、それ以降はたまにやる程度になった。 ZERO3やSF3以降は数える程しかやっていない。VFも3まで、 鉄拳も3〜4までという感じだ。SF4になってネットワーク越しに 対戦ができるようになったということは知っていたが、それを実現する技術には 関心があったものの、自分がやりたいというふうには思えず、 SF5が出て数年して、SF4がだいぶ安くなっていたので、 じゃあ買ってやってみようかな…と思って、結局買わなかった、 という程度の関心しかなかった。

_ 初めての格闘ゲームはSFC版のSF2だった。すでにゲームセンターでSF2に はまっていた友達が指折り数えて発売日に買ってきたものをやらせてもらった。 それまで友達の家でやるゲームといえば…なんだっただろう? メガドライブの「ぷよぷよ」だっただろうか? ただWikipediaを見ると 登場時期はほとんど同じみたいだ。なお私はテトリス、ぷよぷよなどの落ちゲーは まったくできないし、練習してできるようになりたいという気持もなかったので 友達の対戦を見ているだけだった。私はもともとゲームが上手ではなかったし、 ゲームに限らず初見で平均を上回るパフォーマンスを出すことはまずなかったので、 友達とまともに遊ぶことができるようになるためには一人で練習できるものである 必要があった。落ち物はそういった練習をしたいという気持にはならなかったので 数十年経過した今でもまったくできない。

_ 我々が住んでいたところはとても田舎だったので、 対戦ができるような ゲームセンターやゲームコーナーがあるような繁華街は5〜10km近く離れたところにあり、 もともとアーケードゲームをするという発想はほとんどなかった。 アーケードゲームそのものは、それこそ当時は駄菓子屋さんの一角にもあるような 時代だったので、 田舎であった私の家の近所にもそれなりに遊べるところはあった。 兄はけっこう遊んでいたようだが、私はほとんどまったくやらなかった。 もちろんSF2もやったことがなかった。 なので、 SFC版SF2の発売に先立って、友達の会話の中でキャンセルとか アッパー昇龍拳だとか、そんな用語が出始めたのを聞いたときも、 なんか新しいゲームが流行していて、友達がそれをやるために わざわざ遠くまでゲームをやりにいっているらしいと知って驚いたのを覚えている。 私自身は、驚いただけで、別にどんなゲームなのかを知りたいとか、 やりたいといったことはまったく思っていなかった。 SFC版SF2をみんなでやっているときも、当初は後ろで見ていただけだったが、 そのうち友達にやってみないかと言われて、いろいろと基本的な操作から 教えてもらい、キャンセルというものの存在も知り、なるほどこれのことかと 思った。最初はリュウの操作を教えてもらっていた。 すぐに昇龍拳どころか波動拳も出せるはずもなく、 左手の親指の皮が破壊され、修復し、どんどん 固くなっていった。

_ そのうちに本体ごとSF2を借してもらった期間があり、そこでかなり真剣に いろいろ練習した。貸してくれた友人は前段落の通りゲームセンターに行って 対人の対戦を楽しんでいたので、今でも一線で活躍しているような格ゲーマーと 同じように、金があればゲームセンターで対戦、というような感じでどんどん うまくなっていっており、家庭用ゲーム機でわざわざやるというのはさほど 興味がなかったのかもしれない。また、SFC版SF2は再現度がいまひとつな部分も 多かったので、そういう点でも興味が薄かったのかもしれない。 ともあれ私は練習できる環境を独占できたのでかなり時間をかけていろいろ練習した。 その友達がおもちゃ屋の地域大会で優勝したとかで、景品で今でいうアケコンを 入手していたので、それごと貸してもらった。

_ これまでのゲーム、とくに格闘ゲームといえば操作もシンプルで読み合いという ほどのこともなく、アーケード版のイーアルカンフーや空手道などは 色んな技が出せてすごい… と思ったものの、とくにそれらを使い分けないと いけないということもなく、同じ行動を繰り返していればよいように見えた (私はやっていないので見ているだけ)。それに比べると、SF2には 「コマンド」というものがあって、それによって複数の技を使い分けることができ、 飛び道具や対空技などを駆使しながら戦うことができるというのが とにかく面白かった。最近格闘ゲームを始めた人の反応は、FPS等に比べると 操作がシンプルなのに奥深い的な感じになっているようだけど、出会った当時の 私にしてみると、これまでにない複雑な操作ができる面白いゲームという感覚だった。

_ 友人以外の対人戦をしたいという意思はないので家庭用でCPU(という 用語を使うようになったのもSF2が最初だったような気がする)相手に 戦えば十分だった。リュウで安定してクリアできるようになったので 他のキャラをやった。次に誰をやったのかは覚えていないが、ガイルを やったときに「溜め」というまったく新しい操作体系があって また驚きと感動があったのを覚えている。そして使えるキャラを増やしてゆくたびに、 これまで楽に戦うことができていたキャラに苦戦したり、その逆に、辛かった キャラがとても楽になったり、といったキャラ相性があるということも知って、 さらにのめりこんでいった。今でももちろんあると思うが、キャラにはそれぞれ 性能差というのがあって、歩きのスピード、ジャンプの特性 (スピード、距離など)、 などがキャラごとにまったく違っており、それもまた面白かった。

_ SF2の8キャラはすべてCPU戦をクリアできるようになったと思う。ただし CPUレベルを変えるという知恵はなかったと思うので、 おそらく初期設定(4?) のままのはず。ともあれ全部やってみた結果、 ダルシム以外はそれぞれにある特徴を楽しみながら遊ぶことができるように なったと思う。


= ジャンプ

_ 軌道が一定で、防御できず、空中での攻撃は最大1回しかできない、というのは 大変に不自由なので、そういうゲームではジャンプが遅いキャラを使うのは 苦手だった。 SF2は最近のゲームに比べると一撃が大きかったし、飛びが通ればそのまま ピヨってほぼKO、というゲーム性だった。逆に距離を置いたまま勝つということは まずできなかったように思う。なのでダルシムはどう勝てばいいのか分からなかった。 自然とジャンプの離陸時間が短かいキャラの方が好きという傾向になっていた。 なのでSF2ならブランカ、ダッシュならバルログを好んでいたように思う。 ベガはジャンプが遅いし軌道が長すぎるのであまりジャンプしたくないと 感じていた。近付く手段が他にあったので特に不自由はしていなかったと思うが。 ガイルは歩きは速いけどジャンプが遅かったので、そういう意味では苦手なキャラに 入るのかもしれんが、そうであっても強かったので別にそんなに困らなかったように思う。


= 初期8キャラ

_ リュウ・ケンは面白いけど対戦だと技が出ないことが多く、 ガイルは中足 (ストリートファイターではどうやらパンチ・キックは「しゃがみ」が 基準らしく、中足と言うとしゃがみ中キックのことを指すらしいということを 最近知った。逆にしゃがんでいない状態は「立ち」と表現するらしい) で 間合いをとりながらソニック、対空はサマー、というのが慣れると安定して できたし、そもそもキャラが強かったのでよく使っていた。 ブランカはSFC版では中足からローリングがキャンセルでつながっていたが、 アーケード版ではできなかった。本田は弱頭突きがとても強かったし通常技の ダメージが大きくて好きだった。ザンギエフはスクリューの間合いの広さ (「吸い込み」と呼んでいたと思う)に魅了された。ジャンプが低く飛び道具を 避けづらいが、その分離陸時間は短かかったのでそこも好みだった。 春麗は一貫して相性が悪く、最強といわれていたZERO2の頃も含めてほとんど 使っていない。ダルシムは前述の通りどう使っていいのかよくわからないままだった。 ジャンプの項でも書いた通り、 ミスをしたときに大きな隙をさらすことになる行動が苦手で、 ダルシムはそういったものだけで構成されているように見えるのだった。 ジャンプはあほみたいに遅いし、リーチが長くても隙が大きすぎる 通常技の数々を駆使して距離を保つのはよいとして、 どうやってダメージを与えて勝てばいいの? というのが理解できなかった。


= コンボ

_ コンボという用語を初めて見たのはスーパースト2だったと思う。 それまでは「連続技」と呼んでいた。SF2時代のコンボは 飛び込んで地上技をキャンセルして必殺技、という3ヒットがほとんどで、 せいぜいガイルがソニックの後に裏拳で追撃を入れて4ヒット、という程度だった。 もちろん小K大Pキャンセルなどは当時はまったく知らなかった。 スーパースト2Xだとスーパーコンボと追撃で5以上のコンボが出ることがあったが、 それでも10を超えるようなコンボは大道芸的な感じだったと思う (もちろんキャンセルでスーパーコンボが出せるような 入力方法があったということも知らなかったし、そもそも ZEROでできるようになるまで通常技からキャンセルで スーパーコンボを出そうという発想自体がなかった)。

_ ダッシュと浮かせを駆使して10を超えるコンボを繰り返す…みたいな、 「コンボゲー」というジャンルをはじめて目撃したのはX-MENだったと思う。 左右だけでなく上下にもスクロールして、 打ち上げて延々と技をつなげてゆく様子を見たときは全然楽しそうに見えず、 自分でやりたいという気持にはならなかった。 後にSATURN版を買ってやったところ、コンボをつなげてゆく行為自体はとても 楽しいということは理解できたが、それでも対戦でこれやるのはなあ〜という感じで あまり感銘を受けなかった。


= フレーム

_ フレームという用語を初めて意識したのはVF2だったと思う。 多くの人もそうだったらしい。ただ私はフレームの差をどうこう、というような 他の人が取り組んでいたらしい内容とはまったく異なり、 晶の「独歩頂膝」がK+G→Gを離すというコマンドで、同時押し後に Gを離すまでが「1フレーム」しかなかったので、 そこで初めて1フレームの短かさを知り、そしてそれっきりという感じだ。

_ やたらとフレームという用語を駆使するようになったのを目撃したのは 「サイキックフォース」シリーズがきっかけだったように記憶している。 私はまったくやったことがない。用語として当時からそうだったかは覚えていないが、 発生、持続、硬直、などもあったように思う。そしてフレーム単位の差を把握して 対戦しているらしい、というようなことだったのだが、私自身はあまりそれを 信じていなかった。もちろん技術的にはフレームは存在しており、 判定などが時間的に変化したりするという現象も当然あるはずだが、 それを操作する側が把握して差を生かすなんていうことができるような 時間ではないだろう、と思っていたし、 フレームのことを一生懸命議論したり、 数フレームの差の大きさで一喜一憂するなんていう様子を 疑似科学に対するような目で見ていた。

_ 現在はフレームメーターが常設されており、その差を把握することが 比較的容易になっているし、先行入力もあるようなので、同時、1F差などが 常に発生しているということを疑うことはさすがにできなくなっているが、 SF2のときから入力も含めてフレーム単位で管理していたのだろうか?というのは 未だによく分かっていない。同時に1P2Pが行動すると2Pが勝つ(逆かも?) ケースがあるとか、 発生1F技は1/2の確率でガード不能になるなんていう話もあるようなので、 それが画面更新のタイミングと同期していないことが原因なのか、まったく別なのかは 分かっていないが…




Zinnia (zinnia@risky-safety.org)
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