Zinnia hacks tomorrow. (2019/4)

2019/04/01 (Mon)

_ ここのところけっこう寒い。昼間はだいぶ暖かいのに夜になるとけっこう冷える。


= 新元号

_ ちょうど電車で移動中だったので YouTubeのライブ配信で見ている。ゲーム実況見てるみたいに横にあほみたいな コメントが流れている中で官房長官の登場を待つというのは 不思議な感じがする。

_ 令和らしい。 あんまりピンと来ない、というか、もっとなんかなかったの? みたいな感覚は 平成のときも同じだったのでよいとして、 令という字はけっこうバランスが難しいよね…練習しないとだな


= 人に必要な栄養をすべて麺に詰め込み「完全食」をカップ麺で実現した日清「All-in PASTA」試食レビュー - GIGAZINE

_ BASE PASTAは結局入手できておらず試していない。選択肢が増えるのは よいことだと思う。


2019/04/02 (Tue)


= 引越し

_ まだ終わっていない。仕事のほうはあまり詰めこまずに時間を 確保しようとしているんだが、ミミ子の介護にかなり一家のパワーを 持ってゆかれてしまっており、いろいろ進まない。 大家さんにもいろいろ迷惑をかけているし、余計な出費も増える一方だ。


= ミミ子

_ 昼夜問わず不機嫌で、24時間中20時間くらいは何か文句を言ったり、 30分と続けて寝ていられなかったりと、目が離せない時間帯になっている。 残りの4時間くらいは本人もかなり気持よさそうに眠っていて、 周囲で物音があったり振動があっても、目は覚ますもののすぐにまた眠る、という、 普通の犬に戻ってくれる。

_ しかしこのような生活ペースでつきっきりだと、まるで眠らせない拷問みたいな 感じになって、特に妻の消耗が激しい。ということで昨日は妻に新居で寝てもらい ミミ子の面倒を見ることにした。 AM1時〜3時くらいは、上記の、よく眠っている時間帯だったので、私もそこで 少し眠ることができた。その後は10時くらいまで30分おきに起こされて トイレやら水やら寝返りやらをすることに。その30分の間に うとうとして、少し回復して…という繰り返しだ。犬であればそういうペースでも 十分な睡眠がとれているのかもしれんが、人間にはなかなかきつい。

_ とはいえこうやってどっちかが休んでいるうちにどっちかが面倒を見る、という 形をとらざるを得ないので、仕事をひきつづきやりくりして、せめて 引越しというタスクを終わらせないと今の負荷はおさまらないだろう。 ミミ子がこの先劇的によくなるという可能性は低いと言わざるを得ないので、 このような介護生活は続くことになるだろう。ただお互い生き物なので、 置かれている状況や最適な状態というのは日々変わっており、なんか ペースがつかめてきた、と思ったら別の要素が出てきてまるで話が狂ってしまう、 なんてことはしょっちゅうだ。


2019/04/08 (Mon)

_ shinhさんご結婚。 おめでとうございます!


= 引越し

_ 大物である洗濯機と冷蔵庫、レンジ台の処分が終わった。 手で持って運べないものはもうないので、あとは頑張って持って降ろして 物をなくして、掃除をして引越しは完了だ。2ヶ月半もかかってしまっている。


= Dr林と大岡昇平

_ Dr林のこころと脳の相談室を 読み始めたのは、おそらくまだQAが3桁台だった頃だったと思うのだけど、 精神科に関わる事柄を学ぶだけでなく、Dr林の事実を回答するというぶれない 態度と、それを過不足なく表現する抑制のきいた文体、 事実を回答するという前提に反しない範囲での思いやりのあふれる対応には 尊敬の念を抱いている。そんなDr林がコラムの中で 大岡昇平の文章について敬愛していると言明しており、 私が敬愛するDr林が敬愛する大岡昇平の文章というやつが気になってきた。

_ ということで以下3冊を読んでみた。


= 俘慮記

_ 実のところこの作品の名前は知っていたし、 たぶん中学あたりの教科書でやったこともあったような、そうでもないような、気がする。

_ 取材でもなんでもないのだから記憶を蘇えらせる頼りになるものは極めて 少ないはずなのに、自身の心の動きだけでなく、出来事や周辺の人物に対する 詳細な描写がすさまじい。 極限状態、制約の多い、という意味では「シンプル」と言える環境の中で いかにして社会や経済が形作られてゆくのかという描写とその考察が興味深い。 願望や飛躍を慎重に排除しつつ起きたこととして記憶していることや そのときの心の動きを、本文中の表現を借りれば…といいつつ元の表現を 見失ってしまったのだが (何度読み直しても見つからなかった…妄想?)、 乏しい記録を詳細に分析する、というアプローチで検証してゆく プロセスは迫力がある。


= 野火

_ あまり厚さはないのでさほど時間をかけずに読み終えた。 すさまじい小説だった。

_ 主人公がどういう形で兵士としての生活を終えるのか、という点については けっこう早い段階でそれとなく示されている。静かに狂ってゆく主人公と、 その主人公を通してしかこの作品世界の中を見ることができないもどかしさというか 危うさがあり、読みながら緊張した。あまり抱いたことがない感覚だ。


= 事件

_ 海外ミステリを愛好していただけあってミステリとしての 骨格がきちんとしていると思う。とはいえミステリを目指して連載をはじめた わけではないらしい。ともあれ できあがったものは見事な法廷ミステリになっていると思う。

_ ちょっと古い話、具体的には戦前戦後の裁判の変容みたいな描写が多い。 ブレーンとなる法曹関係者が複数名いるようで、事実の描写を重視する 著者らしい構成だと思う。かならずしもすべて思い通りだったというわけではなかった ようだけど


= 保護犬と人をつなぐ里親会 - 日比谷花壇のペット葬|お花溢れるペットのお葬式・自宅葬

_ 先日の里親会の開催場所のコラムらしい。ローニャが出ている。 「保護犬たちの眼差し」の節の、2つめの写真の白い子。


_ 夜に京成がけっこう長いこと止まったらしい。落雷の信号トラブルだったそうだ。 その直前に帰宅していたので巻き込まれずに済んでよかった。


2019/04/16 (Tue)

_ カゼでえらいことになっていた。先週の月曜に喉の痛みを覚え、その日の夜のうちに 発熱のためと思われる身体の痛みが始まり、翌日には頭痛がひどくなり、市販の 総合感冒薬で対応しようとしたがまったくだめで、木曜にはセキが出はじめて、 やむなく通院、いろいろ薬出してもらった。セキは金曜〜土曜がピークで、 日曜にはだいぶおさまっていた。 それでも喉の痛みと頭痛はしつこく残り、投薬は継続している。 あと昨日少し寝違えたようで首が痛い。


= 引越し

_ 苦労の連続だったがようやく終わりが見えてきた。近日中に引き渡し予定。

_ 今回は近所への引越し、具体的には直線距離で20mかそこらという 移動距離だったのと、狭い部屋に引越すことになる=運ぶよりも捨てる方が多い、 という2つの理由から、引越し屋さんは利用しなかった。 ある程度覚悟していたとはいえとにかく大変だった。狭いとはいえ部屋に 収まる程度の荷物を運ぶのは結局自分たちだ、という当たり前の事実がひとつ、 もうひとつは、これは引越しの終盤になってようやく気付いたんだけど、 引越しにおいて段ボールがあらかじめたくさんある状態というのはとても 大事だということだ。 段ボールは、運ぶべきものや、場合によっては捨てるべきものを 一箇所にまとめておくことができるので、作業場所の確保にも役立つし、 もちろん転居先でもそのまま収納に使うこともできる。 今回はそういう段ボールの手配をしなかったので 都度物を運び出すということを繰り返していたんだが、元の部屋に いつまでたっても物が散らかっていて減らない状態が続いてしまい、後続のタスクに 悪影響が大きかった。

_ ミミ子の目が離せないので夫婦で同時に作業ということがほとんどできなかった。 そうしているうちに私の風邪がひどくなったりで大変な苦労だった。 それによって引越しの期間が延びて余計な出費だし大家さんに迷惑をかけるし、 こんなことなら最初から引越し屋さんに頼んでさっさと済ませたほうがよかったのでは、 と思えてくるのだった。 いらないものを大量に捨てている中で、これは何のために家に存在させていたのだろう、 といった物の多さにうんざりした。

_ 新居に運びこまれた荷物は、まだ収容された、というレベルで、整頓された状態には 程遠い。判断に迷ったものも一度は新居か事務所に運びこんでいるので、整理は まだまだ続くだろう。


= ミミ子

_ 体調を崩すと一気に手のつかない状態になり、そんなときは悪魔のようにも 見えてくるのに対して、 おだやかなときは昔と変わらずかわいらしい。不満を先取りで解消してあげるのが本当に いいことなのだろうかという疑問はひきつづきあるものの、今のところ 「諦める」という実績を得たことがないので打つ手に困っている。 何時間でも唸ったり吠えたりしつづけるので、それを放っておくのは 近くにいる人間としても耐えがたいし、本気で吠えだすと近所にも迷惑だ。

_ 散歩、というべきなのか、外に出てカートで移動したりするのは嫌いではない、 というかかなり好きみたいで、カフェなどでじっとしていると怒るくせに そそくさと食事を済ませて外に出るとぴたりと機嫌が直ったりする。カートなり 車椅子なりで移動させるのは、天気さえよければ人間側にはさほど負担ではないし、 ミミ子が楽しいならそれでいい気もするのだが、ミミ子が何を楽しんでいるのかは いまいちわからない。わからなくても楽しいならそれでいいとも言えるが


= ローニャ

_ 3月に里親会に出てからすぐに申込が来るであろうという予想は少し外れ1ヶ月ほど無風だったが、 ついに里親希望者さんが現れた。お見合いも済んでいる。

_ 里親希望者さんは自営業のご夫婦と3人の息子たち、で、亡くなった先住も ローニャを預かっている団体からひきとった保護犬だったそうだ。 家族とローニャとの相性が悪いはずもなく、 その日のうちにも連れて帰りたいという様子だったらしい。 ついにローニャもうちを去る日が来るのかと思うと無闇に焦る。

_ ジョンのときにも似たようなことを書いたけど、 里親さんが見つかるたびに、取り返しのつかないことをしているのではないか、 というような気持になる。取り返しのつかない、という言いかただと ネガティブな色彩が出てしまうがそうではなく、後戻りのできない、が、 正確なのかもしれない。であれば事実後戻りができないのでそう思うのは 当然なのかもしれないが、 うちに迎え入れて、うちで余生を過ごすという未来はなかったのだろうか、 というような漠然とした迷いのような感覚がある。 過去抱いたそういう感覚はもちろん時間が解決してくれたわけで、 里親さんのところで幸せに暮らしている子達を直接・間接的に見ることは 大きな喜びであったことは間違いない。いっしょに過ごすという 未来はなくなり、いつも近くにいるという日々は失われたけども、 その子が幸せで、またいつか会える、かもしれない、という気持で暮らすのも そんなに悪いことではない。加熱すると辛味に隠された玉葱の甘味が出てくるみたいな 話なのかもしれない。かえってわかりづらいが

_ とはいえ、そういった感情の動きがしんどいのは間違いないわけで、 数こなしていれば慣れるのかというとよくわからない。 それどころか、これまでに巣立った子達に対して、普通の預かりとしての別れのほかに 特別な気持、が、あるのではないかなどと思ったりする。 それぞれうちに来るまでの経緯も、うちにいる間の思い出も、 住みかや家族の状況もいろいろ異なるので、それ自身が特別な思いを 形作るというのももちろんあるんだろうけども、ローニャに対しては さらに特別な気持があると思わざるを得ない。

_ お互い本気で口には出さなかったけども、 ローニャを我が家に迎え入れたいという気持が私と妻の双方にあったと思う。 犬のこういうところが好き、といったポイントは人それぞれ違うだろうけども、 ローニャは夫婦にとってのポイントをとてもよく押さえている子だ。 同様に我々が好ましいと思えるところだけを集めて生まれてきたような子だった つぼみを喪ったばかりの夫婦にとって、つぼみの面影を感じたり、 うちに来るために巡り合わせたんじゃないかと 錯覚させられるような気持になったのは数えきれないほどだ。


2019/04/17 (Wed)

_ 起きて服を着て会社なり家なりにいればすることは山ほどあるというのは 考えようによっては幸せなことなのかもしれないが、 考えなくても身体を動かしていればその日が過ぎて終わる、 何事も予定通りに進まないので締切に迫られて忙しい思いをする、 トラブルが起こってそもそも考えるどころでなくなる、 なんていうことをしながら生きていると、 だんだんとしんどい気持が支配的になってきて大変だ。 飽きるという感覚が近いのだろうか。飽きるというのは変化がないということなので それはそれで平和でよいのだろうし、私は変化をあまり好む性癖ではないはずなので 本来であれば居心地のよさを感じてもよいもんだが、退屈・飽きるというのは そういう人間にも平等に訪れる感覚らしいので厄介だ。


= 引越し

_ 不燃ごみの始末をした。あとは可燃ごみと資源ごみが少し残っているのでその始末をして、 今度こそ完全に引越しが完了の予定だ。まだしばらくは処分やら手続きやらで 時間がとられることになるけど、 そういった生活が冒頭の感覚につながっていたりするわけなので、 忙しさの種がひとつ減ることはよいことだと思う。


= 現代小説作法

_ 大岡昇平の4冊目。ですます調の文章は珍しいらしい。 小説の作法なんてものを論ずるのはろくなもんではない(意訳)というのが冒頭に 出てきて、今風に言えば「タイトルは釣り」というやつだろう。 この人の小説観は好感が持てるな。

_ 小説をとりまく環境が変わりすぎていて、ここで問題とされているものが 今ではよっぽど注意してみなければ問題として気付くこともできないんじゃないかと 思えるようなものが多いと思う。当時直面していた脅威は「映画」だったようだ。 今はblogやらSNSやらも含めて大量の文章が消費される時代になってきているので、 何かを脅威と感じでそれに抵抗する、そしてまた情勢が変わる、といった展開が 速すぎて、気付いたら思いもよらないところに到達していた、なんてことに なっているような気がする。


2019/04/18 (Thu)

_ カゼは完全に治りきったとは言いがたい。日中の喉の痛みはまったくないが 寝起きには痛みがあるので、これは薬が効いているということなのだと思っている。

_ 頭痛のほかに首が痛い。木曜の夜から金曜の朝にかけて、妻のかわりに事務所の ビーズクッションで寝たときに寝違えたらしく、 それがあまりよくなっている気配がない。 寝違えの痛みはこんなにしつこく残るもんだっけ

_ ともあれ、新居を借りて2ヶ月半、引越しという作業を始めて2ヶ月かけて ようやく、5Fからごみを含めた荷物が完全になくなり空室というべき 状態になった。長かった。


= 白いイヤホンをつけてないように見せたい :: デイリーポータルZ

_ 気付いたらApple製品に対して反射的に反感を覚えるような 妙な性格が形成されてしまっており、このAirpodsというのも 最近よく見掛けるんだけど、えっこの人耳にうどん挿しているの? えっ両方に? 貫通? みたいなことを瞬時に思ってしまい大変なんだけど、 この記事を見て、白いから目立つという基本的なことにようやく気付いた。 この自己顕示欲みたいなところに反感を覚えるのだろう。MacBookの背面に光る アップルのロゴとか。それはそれとして 使っている人を心の中でdisるような真似はお行儀が悪いのでやめたほうがいいだろう


2019/04/21 (Sun)


= ローニャ

_ 今日からトライアル。

_ 昨年10月に家に来て、ほぼ半年で卒業。前日に凪咲 (カイサ) にも挨拶をして、 当日につぼみやカールソンともお別れをして巣立っていった。


= ミミ子

_ ティアハイムに1ヶ月預かってもらうことになったらしい。 現状の、夫婦どちらか(といっても私は仕事があるので比重は妻の方が 高くなる)が、ほぼつきっきりでミミ子の相手をこの先もしつづけることは しんどく、せめて週の何割か、あるいは時間帯を選んで、かわりに 面倒を見てくれるような体制がないもんか、という模索をした 結果そうなったということらしい。ティアハイムには大量の犬がいて… という話は以前書いたが、 ほぼ24時間介護状態になっているのが我々夫婦の過保護でなく、 介護が実際に必要だというのが事実そうであれば、その環境をティアハイムに 期待することは不可能だろう。なのでそういう決定になったことについては 不安と不満が交錯している。

_ 不安・不満の話をする前にまずこちら側の話を整理しておく。 このようなこと、つまり介護が限界で、預かりを一時的であってもギブアップする、 ということと、犬を捨てるという行為の間にどのくらいの差があるのか? 私の意見としてそれらは同質のものだと思っている。犬を預かるにしろ、飼うにしろ、 自分たち、あるいはその周辺の人たち、の協力をもって最後まで、あるいは 里親が見つかるまで面倒を見ることが必要となるわけだし、 それができない状態になってしまうことがよくないことであるのは言うまでもない。 その覚悟や裏付けが必要である、と、捨てられた犬たちを見るたびにその元飼い主達に 抱いていた感情は、そのまま自分たちにも降ってくることになる。

_ といって、あらゆる事態に備えられた状態でなければ犬なんて飼えない、 というようなラジカルな発想で見てしまうと、そんなことができる人は ごくわずかだろうし、結果から物を言うような、つまり起こったことを見て こうするべきだった、あらかじめ備えておくことができたはず、といったような ことはいくらでも言えるわけで、現実のところは、完璧さと、無責任さの間にある 状態でどうにかこなしてゆくしかない。 そしてできる限り無責任から遠ざかり、完璧に近づけるように変わりつづけることが 必要なんだろう。ミミ子の現在の状態がやむにやまれぬ状況なのかと言われると、 個人差もあるだろうしなんともだけど、いずれにしろ我が家では今のままでは 早晩限界を迎えるだろう、という結論になったということだ。

_ その結論に至ったときにティアハイムという選択肢があった、というのは ありがたいことではありつつ、ここから不安・不満の話に移るが、 冒頭に書いた通りミミ子のような介護を 要する子にとって都合のよい場所ではないように思えるので、そういった 選択肢しかない、という現状については不満を覚える。 この団体は他の団体が二の足を踏むような状態の悪い子や、 引き取り手の見つかりづらそうな子でも果敢に引き取ってゆくという考えかたの 団体だそうなのだが、一時預かりですら負担の大きい子たちを果敢に保護しようとする 考えかたの裏付けとなるものは、ボランティア同士のつながりであったり 協力であったり…ではなく、単にボランティアそれぞれが他の団体よりも タフな保護活動をする覚悟があるか? ということにしか過ぎないように思えてくる。 そしてそれが事実だとすれば、団体としての「果敢さ」というのは ボランティアの搾取を前提とした蛮勇にも思えてくる。 蛮勇はさすがに言い過ぎなのかもしれないが、と急いで補足説明をしてしまうが、 それにしても、困っているときに頼りになるような、つまり提示された案に 不安が少ない、選択肢を示してくれないのかな?と思えてくるのだった。 繰り返しになるがティアハイムという選択肢があること自体は ありがたいことだと思っているが、 こちらが我慢して現状維持したほうがいいのではないか? といった問いに対して、 それは現実を直視していない錯覚だ、とまでは言い切れないような 迷い・疑問・不安があるのは事実だ。

_ まとめると、

ここまでが事実で、ここからは私の意見として、

_ このような経緯に対して思うところは人それぞれあるし、自分や自分以外に対する 不満もそれぞれだろうが、いずれにしてもこのような事態に至った私はもう 犬を預かったり、まして飼うということはむりだなと思っている。 「犬は鎹」と妻は言っており、それはそれで至言だと思う。我々夫婦が 犬によってつなぎとめられているという側面に疑いを挟む余地はないけども、 それは犬がいなければつなぎとめることができないということを意味しない。 実際にそうなってみれば、やはり犬がいないとうまくいかない夫婦だったんだな… という結果になるかもしれないが、そのときはそれまでだろう。


2019/04/22 (Mon)

_ 治りきっていないとはいえほとんど気にならないレベルにはなった。寝違えも、 先週末にはだいぶよくなって、今はほとんど感じない程度に。


= 【訃報】プログラミング言語「Erlang」を生んだジョー・アームストロング氏死去 - GIGAZINE

_ びっくりした。 つい先日までMLに投稿があったのに。

_ ショックだ。プログラミングErlangは私の プログラミング人生を大きく変えた本だ。 ただErlangを身につけることができたというだけでなく、これを読む前と後では 自分が大きく変わった、と思っている。こんな経験は人生で何度もないものだと 思うので、この本と、それを書いたJoeには、特別な思いがある。 MLやいろんな記事、シンポジウムなどに登場するJoeの、物腰は柔らかく、 若者にも親切で、何より技術者でありつづける姿を見ていると、 自分もこういうふうに歳をとりたいと思わせるものがあった。

_ Joeといえばこの記事にもあるように「Why OO Sucks」がよく知られているけど、 私はそれよりもCoders at Workに出ていたバナナとゴリラの話が強く印象に 残っている。オブジェクト指向言語ではオブジェクト間の依存関係が強いので バナナをとろうとするとそれを持っているゴリラと、ジャングルがついてくる (意訳) みたいな話


2019/04/23 (Tue)

_ 今日は暑い。

_ カゼとは異なる身体のだるさがあり、こんな状態で連休を迎えるわけにはいかないので 今のうちに体調を整えておかないといけない。


2019/04/28 (Sun)

_ 連休に入っている。仕事をしつつ休んだりしている。カゼがなおりきらず セキが残っている。

_ ミミ子は4/25からティアハイム生活に入っている。そのため家には犬がいない状態だ。 8年ぶり? わんたが亡くなって、 メイ子 (サン) 、もみじ (鈴) が巣立っていってから、 テコ (クマ) 、くるみ (シロ) をプチ預かりするまでの2ヶ月。 その後テコ・くるみと入れ替わりにつぼみが来たので、それ以降ずっと家にはつねに犬がいる生活だった。もちろん結婚前から わんたはいたので、犬のいない生活はこれまでこの2ヶ月だけしかなかったことになる。

_ ミミ子は1ヶ月ほど預かってもらうことになるようだ。 その間にこちら側の受け入れ体制を整えたり、いろいろするらしい。 事務所の模様替えもして、人間やミミ子がより快適に暮らせるようにするらしい。


= Joe追悼記事

_ Remembering Joe, a Quarter of a Century of Inspiration and Friendship | Erlang Solution blogと、 Goodbye Joeと、 Why Erlang? Joe Armstrong's Legacy of Fault-Tolerant Computing - The New Stack


= 第36回お勉強会

_ 第35回が2017年3月で、そのときは 事務所のこけら落としだったので、 場所を借りてのお勉強会はなんと3年ぶりということになる


= OODAループとPDCAサイクル

_ OODAループという用語を最近よく見掛けるようになった。 それも、だいたいPDCAサイクルに批判的な文脈で見掛ける。 批判的な文脈、というのは、だいたいの場合、PDCAのアプローチは 日本では合わない、とか、やりすぎてかえって変化を妨げているとか そういった話になるらしい。 PDCAは日本独自の文化で悪習だといったような雰囲気すら漂わせている 記事も見掛ける。たとえば以前引用したこれとか

_ 私自身はPDCAサイクルのことを知った当時から 懐疑的、というか、批判なしで受け入れていいものなのか、という警戒感が拭えなかった。 でもISOのマネジメントシステムがそれを前提にしているのだから 疑っていても仕方がないわけで、でもこれをよいと思っている人は 本気なのかしら、 なんていう違和感を覚える程度の自由はあるだろう、 というような処世術で接しているので、手法そのものに対して 批判的な目を向ける風潮が出てきたのはよいことであろう… と思っていたのだけど、 どうも私の思う違和感とはずれているようだ。私の思う違和感とずれているから 悪いというわけではないが、どうもコンサルティングを生業とする人達が 新しい用語や概念を生み出したり持ち出したりして 相手の消化不良を期待している感じを受けてしまう。 そう感じてしまい、 かつそれに対して不健全という感想を抱いてしまうのは私の偏見なのかもしれんが

_ PDCAであってもOODAであっても、それが循環して継続的に改善をしてゆくところに その眼目があると思われる。それ自体は悪いことではないというか、 最初からベストなものが作れるわけではないので そういうアプローチをとらざるを得ないのだけど、身のまわりで起きていることは、 それがマネジメントシステムに組込まれている割には、変わることに対する 労力が高すぎるように思える。PDCAにおけるA→P がスムーズに行くような 取組を励行するような仕掛になっていなければ、どんどん実体と乖離していって、 役に立たないセレモニーになるか、誰も守らずに抜け道を探るようになるだろう。 PDCAを批判的に見ている人が語るOODAの一発目のO→O というやつが、 PDCAにおけるPのプロセスに不足しているものを補っているというのも どうもピンと来ない。Pの前にアセスメントくらいやるし、そうなると 具体的にやっていることの差なんてあるのか? と思えてくる


2019/04/30 (Tue)


= \ 演算子 (Visual Basic) | Microsoft Docs

_ VB.NETで書かれたソースを読むことになって、こんな 狂った演算子の存在を知ることになった。平成の最後にふさわしい仕事だなああー




Zinnia (zinnia@risky-safety.org)
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