岩男潤子さんの名前を始めて目にしたのは、おそらく アニメ「マクロス7」のendingでしょう。その時は、 なんかいかつい名前のひとがいるなあという程度で、 具体的にどのキャラの声をやっているかなどということは まったく知りませんでした(マクロス7ってあんまり真面目に見てなかったし)
潤子さんの曲を始めて聞いたのは、NHK「みんなのうた」の、「空のオカリナ」です。 この曲が流れている途中から見はじめた僕は、なんかいいなあと 思いつつ曲が終わるのを待ちました。曲の終わりに 曲名と歌手の名前が出るのを知っていた程度に「みんなのうた」ファンでした。
後日、今度は「空のオカリナ」を最初から聞くチャンスに恵まれました。 そして作曲が谷山浩子さんだということを知りました。 当時の僕の中では谷山浩子が関わっている歌手といえばそれだけで 受けいれてしまうほどに浩子さんに傾倒していましたので、 さっそく潤子さんのCDなどを聞き始めました。
当時は「はじめまして」「entrance」が出ていましたが、 とくに「あなたを忘れたい」(@entrance)は、 ちょうど帰省から米沢に戻る電車の中で聞いていたという状況も 手伝って、とにかく僕に深い感動を与えていました。
とはいえ、当時の僕としてはあくまで歌手としての潤子さんに魅かれていた というだけで、例えばCDドラマだとか、ラジオだとか、そういうものには あまり心を動かされませんでした。
ある日、書店で潤子さんの写真集「Sylph the Eternal」をみつけ、 なんとなく購入。それを読むうちに、だんだん歌手以外の潤子さんに 興味を持つようになりました。
というわけで、潤子さんが主演している「KEY THE METAL IDOL」を見たのですが、 これがまた衝撃でした。潤子さん演じるキィは、後にも先にも潤子さんにとって 最高のはまり役だったと思います。KEYそのものは、回を追うにつれ だんだんつまらんようになってきてしまいましたが...
entrance、Sylph the Eternal、KEYで完全にやられた僕は、 もう潤子さんの出ているものならなんでも吸収してやるぜーと いうくらい潤子さんに傾倒していました。数ページの記事のために 1000円を超える雑誌を2冊購入したり。
3rdアルバム「kimochi」が出ることを知ったときは浮かれあがったもんでした。 PC-fanの浩子さんの連載で出ることを知ってから半年、指折り数えるように 待ち続け、ラジオをチェックしつづけ(アルバム収録予定の曲が流れるので)、 購入当日に車に轢かれそうになりつつもようやく手に入れました。
さて。そんなふうに幸せな生活を続けたある日、1998年でしたか。 久々のシングル「空色の風」が出ました。そのときはあまり印象に 残らなかったというか、僕の性癖として買ったその日は1回通して聞くだけ というのがありまして、ちゃんと聞くのは数ヶ月後、そういえばこんなん 買うてたかな、と思って...ということがザラにあるのですが...
というわけであまり記憶に残らないまま時は過ぎて99年1月、 僕は神奈川の実家から米沢に戻る途中、上野駅5番線ホームにある 喫茶店(というのかあれ...名前ちょっと出てこないっす)、で、 いつものようにカレー食いつつアイスティーを飲んでいたところに 有線から潤子さんらしき声が流れてきました。んー似てるけど別人かな。 なんか違和感あるし。でもなんか聞き覚えあるような... と思って米沢に着いてから手持ちのCDを確認、 「空色の風」だったということが分かりました。
あらためて聞いてみて、なんというか、潤子さんらしくない歌声だ、と感じました。 今でこそ穏当な表現ですが当時はかなりショックだったらしく、 「こんなの潤子さんの歌じゃないやい」とか日記に書いてあります。
去年の冬から、「空色の風」(シングル)、「Favorite Songs」(ベストアルバム)、「卒 業」(シングル)と新しいCDを出してきた潤子さんだが、どうも最近の彼女の歌声には違 和感を感じずにいられないのである。とくに、「空色の風」を聞いたときのショックと いうのはかなり大きかった。こんなん潤子さんの歌じゃないやい、などとガキみたいな 感想を持ったものだ。
なんと説明すればいいのか...今まで、潤子さんの歌声を聞くたびに感じていたひたむき さというか、そういうものが感じられないのだ。ソツなくこなしているというか、上手 に歌えている自分を鼻にかけているような雰囲気すら感じられるのだ。もっと言葉を悪 くすれば、正直信じがたく、気持悪かった。
確かに、飾らない、ありのまま、といった感じは得ることができるが、そのくせ解放感 のようなものがちっとも感じられないのだ。いかにも大衆受けを狙った仕事、といった 感じ。
別におれは、背伸びや演技が悪いなどという青臭いことを言うつもりはないが、少なく とも最近の潤子さんは、アルバム「はじめまして」「entrance」「kimochi」を聞いて感 じた潤子さんとはまったく別人なのではないかと思わせるような歌声なのである。
ところどころ、確かに感じ入るところはあるけど、やっぱり全体的に技巧に溺れている というか、ひたむきさが感じられない。おれが潤子さんの歌声に惚れた一番の要素は、 その技巧よりも歌に対する真摯な姿勢が感じられるようなひたむきな歌いかた、だった だけにそのショックはかなり大きかった。
というわけで、幸せだった日々から一転、次はどんなの出してくるんだろ、と 期待半分、不安とあきらめ半分で待つ日々が続きました。
hm3が出している「岩男潤子アーティストブック」、 それに1stアルバム「はじめまして」に収録されていた 「泣かないWeekend」の歌いなおしたものがシングルでついてきました。 ベストアルバム「Favorite Songs」では1st、2ndアルバムの曲を あらたに歌いなおしていました。それを聞いた僕は なんとも哀しい気分になりました。
その後も半ば惰性でCDを買いつづけました。 「appear」(99年)を聞いたときに、聞くのが辛くなくなったと 感じました。少し救われました。 「CANARY」(2000年)の最後のAngel callingは、歌い出しを聞いただけで 思わずハッとしました。感動しました。
話がぼやけてしまいましたが結論は以下の通りです。
今後潤子さんがいかなる道を歩もうと、どんな歌を唄おうと、 それが潤子さんの望むところである限り、 歌だけでなく他のたくさんのものに魅かれた人間として、断乎支持します。 が、過去を上書きするような、そういうことだけは しないでもらいたいのです。
昔のように歌ってほしいとか、 昔の曲を昔のように、といったことは言いません。 ただ、たとえその曲が、その作品が、今の潤子さんの意に反したもので あったとしても、それに強く影響を受け、後生大事に 自分の中に守ってゆきたい、と考えて生きている人間がいるということを 分かっていただきたいのです。
思いこみを動機とした自分勝手な意見であることは確かです。 自分にとって相手がどうあって欲しい、ということを思うのは自由ですが、 それを相手に求めてしまってはいけないし、 相手がそれを叶える義務もありません。 しかし、相手が自分の「思い」を積極的に壊そうとしていると 自分が感じたときに、それを主張するのは...許されるのでしょうか? 議論は成り立たなさそうですね。
今では、聞くのが辛いということはなくなりましたが、 潤子さんの歌声を聞いても昔みたいにそれだけで幸せが溢れてくる、 という感じはなくなってしまいました。潤子さんも変わったのかもしれないけど、 僕も変わったんでしょう。この先もまた変わるかもしれないですね。 こんな日がいつか来ると、初めて曲を聞いたときから思っていました。 そんな日が来るのを恐れていた時期もありました。が、 そういう時期には「感じる力」も自然と衰えてくるので それほどの感慨もなかったりします。人間の心はうまくできていますね。
非生産的な意見でもうしわけない。でも今でも支持する気持は 変わりませんぜ(カラ元気か?)